
| 名前 | 逢同(ほうどう) |
| 生没年 | 不明 |
| 主君 | 越王句践 |
| コメント | 策謀を得意とする越の臣下 |
逢同は春秋戦国時代の越の謀臣です。
越王句践に仕えた人物であり、句践が呉を攻めようとすると諫めたり、伯嚭と結託し伍子胥を死に追いやりました。
越の中では范蠡、文種に続く第三の臣下が逢同と言ってもよいでしょう。
逢同は范蠡や文種に比べると、知名度は明らかに劣りますが、越の謀臣として呉を滅ぼすのに功績があった事は間違いなさそうです。
越王句践を諫める
越王句践は呉王夫差に敗れると、文種の国政を任せて范蠡と柘稽が人質になるなどしましたが、越の再興を目指していました。
敗戦から7年の月日が経つと、越王句践は呉に報復戦争を行おうとしますが、これを諫めたのが逢同です。
逢同は次の様に述べました。
※史記越王句践世家より
逢同「国が滅亡に瀕してから大して時も過ぎていないのに、勢いで兵の準備をすれば、呉は越を怖れ警戒するでしょう。
呉が警戒心を抱けば必ず国難がやってきます。
鳥が獲物を襲う時は、必ず姿を隠すものです。
現在の呉の兵は斉や晋を侵略し、恨みは越や楚に多くあります。
呉の名声は天下に渡っておりますが、内情を見れば周王朝を害しています。
徳も無いのに功が多いと必然と驕慢になるものです。
越の為に計るのであれば、斉と結び、楚と親しみ、晋を援け、呉と丁重に交わるべきでしょう。
呉の志は大きく必ずや安直に戦う事になります。
逢同は斉、晋、楚と結び、呉を油断し疲弊した上で攻撃するべきとし、越王句践が呉を攻めるのを諫めたわけです。
越王句践も逢同の意見に納得し「分かった」と答えました。
伍子胥を陥れる
越では呉に油断させる事に全力を尽くし、呉王夫差は越への警戒心を解きました。
呉王夫差は越を警戒しなくなりましたが、伍子胥は越が最も危険な相手だと、呉王夫差を諫め続けたわけです。
逢同にとっても最も邪魔な相手が、伍子胥だったと言えます。
逢同は伍子胥の排除を考えますが、史記には次の文書が存在しています。
※史記越王句践世家より
嚭は逢同と共謀し伍子胥を王に讒言した。
ここでいう「嚭」は伯嚭の事であり、呉の佞臣とされている人物です。
伯嚭は越の賄賂により骨抜きにされており、逢同と大きく関わっていたのでしょう。
逢同の工作が功を奏したのか、呉王夫差は伍子胥を自害させました。
逢同の最後
逢同は伯嚭と共に呉王夫差を自害させてからの記録がなく、いつ亡くなったのかも明らかではありません。
越王句践は呉王夫差を破り春秋五覇の一人に数えられるまでになりますが、范蠡は危険を察知し越を出奔しました。
文種は越王句践により自害させられています。
越王句践は覇者となった後に粛清を始めたわけですが、この頃までに逢同が生きていたら、粛清対象になったのではないでしょうか。
もしくは、越王句践が粛清を始める前に世を去ったか、越を去った可能性もある様に感じました。
逢同の最後は不明としか言いようがありません。