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鬼道とは呪術、占い、道教の一派なのか

2023年9月12日

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宮下悠史

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名前鬼道
読み方きどう
使用者卑弥呼、張魯の母、張魯、五斗米道
コメント呪術とも占いともされるが内容は不明

鬼道ですが、正史三国志の東夷伝に卑弥呼が鬼道を使い人を惑わしたとあり有名になった言葉だと感じています。

鬼道は一般的には道教や占い、まじない、シャーマニズムと言った所でしょう。

魏志倭人伝には倭人は重要な局面では占いをしたとあり、占いのプロとして名が通っていたのが卑弥呼だったのかも知れません。

卑弥呼と鬼道がセットになっている様に思うかも知れませんが、正史三国志を見ると張魯の母親も鬼道を使った話がありますし、春秋時代にも鬼道に関して述べた話しがあります。

鬼道に関して言えば、時と場合によって見方が違ってくるのではないかと感じました。

鬼道と一言で申しても時と場合により解釈は違うという事です。

今回は卑弥呼も使ったとされる鬼道の解説をします。

卑弥呼の鬼道

魏志倭人伝の記述

日本人の感覚として、一番有名なのは卑弥呼が使ったとされる鬼道だと感じています。

正史三国志の東夷伝(魏志倭人伝)には、次の記述が存在します。

※正史三国志東夷伝倭人の条より

事鬼道 能惑衆

(鬼道を事とし、能く衆を惑わす)

上記の記述から卑弥呼が鬼道を使っていた事が分かります。

しかし、そもそも卑弥呼が使った鬼道が何なのか?というのが、具体的には不明なわけです。

卑弥呼シャーマン説

卑弥呼が鬼道を行ったとする記述から、邪馬台国は呪術国家だったのではないか?とも考えられています。

中国の殷王朝では鹿の甲骨を焼きヒビの入り具合で占った話もあり、同じような事を卑弥呼もしたのではないか?とする説もあります。

卑弥呼はシャーマンであり、鬼道という占いや呪いを行い物事を決めていたとも考えられるわけです。

ただし、常識的に考えて戦いなど全てを占いに頼るのは余りにも危険だと言えます。

邪馬台国は卑弥呼の弟が政治を行っていた様な話もあり、弟や大臣達が決められない事を、卑弥呼が鬼道と呼ばれる呪いを使い決断していたのではないか?ともされています。

初期のイスラム帝国ではムハンマドや皆で決断出来る事は自分達で決めて、決断できない事はムハンマドが神の預言を聞き決断したと伝わっています。

似たような仕組みが邪馬台国にもあり、統治王の卑弥呼の弟や大臣が決断出来ない事を、卑弥呼の鬼道なる占いで決めていたのではないか?という事も考えられるわけです。

五斗米道と道教

鬼道は道教の一派だったのではないか?とする説があります。

張魯の母親は劉焉と深い仲になっていたわけですが、鬼道を使い見た目が若々しかったとあります。

張魯の母親も鬼道を使ったとありますが、ちくま学生文庫の正史三国志では鬼道を「巫術」と訳しました。

巫術とは呪術の一つであり、ここでも呪いの様なものとして鬼道が扱われている事が分かります。

張魯は漢中で独立し五斗米道の国を作りますが、五斗米道の開祖である張陵は道術を学び人を惑わしたとあります。

それを考えると、鬼道は道教の一派だったのではないか?とも考えられるわけです。

五斗米道では道術を習いに来た者に対し、最初は「鬼卒」と呼んだ話があります。

五斗米道の教えを考慮すると、鬼卒は「鬼を卒業して全うな人間になる」という意味もあるのではないかと感じました。

それらを考慮すると、五斗米道は鬼道に通じる部分もあるのでしょう。

尚、劉焉が亡くなると劉璋が後継者になりますが、張魯が漢中で独立した事を理由に、張魯の母親と家族が皆殺しにされています。

張魯の一族の最後を考えれば、鬼道を行っても必ずしも生き残れるわけではないという事なのでしょう。

魯の鬼道

春秋時代に魯の夏父弗忌は、礼制を変更し亡くなった魯の釐公を先祖よりも前としました。

夏父弗忌の変更に対し、周の文王や武王の功績は先祖の后稷や季歴よりも大きかったが、それでも祀る時は祖先の后稷や季歴を前にしたとあります。

それを見た展禽は「鬼道にも人道にも反している」と述べています。

展禽の鬼道が何を指しているのかは不明です。

しかし、やり取りの前後を考えると死者への礼制として鬼道を使っている様に感じました。

鬼道というのは、呪いや占いだけではなく死者に対する事も鬼道として扱われたのでしょう。

鬼道といっても、時と場合によって意味合いは違ってくるはずです。

鬼道は邪教なのか?

鬼道は邪教を指すのではないか?とする説もあります。

ただし、実際には悪魔信仰を行っている人間は殆どいないはずです。

しかし、一神教などでは神は一人しかおらず、他の宗教は邪教という事になります。

鬼道の場合も中華の人々が見た事も無い様な宗教儀式を鬼道としたとも考えられます。

卑弥呼が夜にかがり火を焚き、呪術を唱え神の言葉を聞こうとしている姿を見たら、見た事も無い様な人は怪しげな術を使うと考え「鬼道」と判断してもおかしくはないでしょう。

ただし、卑弥呼は倭王となってからは、人前に姿を現さなかった様であり、鬼道を行っている姿を見たものはいなかったはずです。

鬼道は中華の人々が話を聞き判断した事なのかも知れません。

三国志の世界などでも「鬼神も~」とする表現が使われており、鬼神には悪霊的な意味も強くあるのでしょう。

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