薛房は正史三国志に名前が登場する人物です。
薛房は豪族だという事が分かっており、前後の記述を見るに東阿の豪族だと考えるべきでしょう。
黄巾の乱が勃発した時に、県丞の王度が黄巾賊に内通し、城を奪ってしまいました。
しかし、王度の計画にも不備があったのが、城を守れず離れた場所に駐屯しており、この情報を程昱がキャッチする事になります。
程昱は薛房に状況を説明すると、薛房は納得し程昱への協力を決めました。
王度が再び城に攻撃を仕掛けて来ると、程昱と協力して王度を敗走させています。
これらを考えると、薛房は良識がある人物だと言えるでしょう。
今回は正史三国志に登場する薛房を解説します。
程昱の策
184年に張角が黄巾の乱を引き起こすと、県丞の王度が内通しました。
王度が突然蜂起した為か、不意を衝かれた事が原因なのか県令は逃亡し、人々は渠丘山に逃げる事になります。
こうした中で程昱は王度の様子を探らせると、城を手に入れたはずの王度が城を放棄し、城の外に駐屯している事が分かりました。
程昱は豪族の薛房の元に行くと、次の様に述べています・
※正史三国志 程昱伝より
程昱「現在の様子を見るに、王度は城郭を手にしたはずなのに、放棄した事を考えると大した事は出来ないはずだ。
王度らは物資や財物を得たいだけであり、鎧を見に纏い鋭利な武器を手に取り戦う気はないのであろう。
今、皆を引き連れて城に戻り、守りを固めるべきだ。
城は堅固であるし、食料も豊富だから県令を探し出し協力して守れば、王度を撃退する事も出来る」
程昱は薛房に城に民衆を連れて城に戻る様に伝えたわけです。
程昱が依頼する所を見ると、薛房は東阿県の中でも有力豪族だったのでしょう。
程昱は薛房の賛成が得られれば、事は進むと考えたはずです。
薛房は程昱の考えに賛同しており、良識のある判断をしたとも言えるでしょう。
城に戻って勝利
程昱は民衆たちを強制的に城に戻そうと考え、薛房は大声で「賊がやってきた」と叫びました。
民衆らは慌てて渠丘山を後にし、城に戻ったわけです。
県令も城に戻ると王度は再び城に攻撃を仕掛けてきました。
しかし、王度の軍は城を落しても守り切れない事が分かっていたのか、手こずったわけです。
城内では薛房も民衆を指揮したりして奮戦していた事でしょう。
こうした中で王度の軍は城攻めを諦めて兵を引きますが、程昱が民衆を引き連れて王度の軍を襲い勝利しました。
程昱と薛房の活躍により、王度の乱を防ぐ事に成功したわけです。
程昱は後に劉岱にも誘われたりしますが、固辞し曹操に仕えて出世していく事になりますが、この後に薛房がどうなったのかは記録がなく不明です。
それでも、地元の豪族として薛房は民衆を守ったと言えるでしょう。