その他 三国志 後漢

薛房は良識ある豪族

2023年6月15日

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宮下悠史

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名前薛房(せつぼう)
生没年不明
時代後漢末期、三国志
コメント程昱の進言に賛同した豪族

薛房は正史三国志に名前が登場する人物です。

薛房は豪族だという事が分かっており、前後の記述を見るに東阿の豪族だと考えるべきでしょう。

黄巾の乱が勃発した時に、県丞の王度が黄巾賊に内通し、城を奪ってしまいました。

しかし、王度の計画にも不備があったのが、城を守れず離れた場所に駐屯しており、この情報を程昱がキャッチする事になります。

程昱は薛房に状況を説明すると、薛房は納得し程昱への協力を決めました。

王度が再び城に攻撃を仕掛けて来ると、程昱と協力して王度を敗走させています。

これらを考えると、薛房は良識がある人物だと言えるでしょう。

今回は正史三国志に登場する薛房を解説します。

程昱の策

184年に張角黄巾の乱を引き起こすと、県丞の王度が内通しました。

王度が突然蜂起した為か、不意を衝かれた事が原因なのか県令は逃亡し、人々は渠丘山に逃げる事になります。

こうした中で程昱は王度の様子を探らせると、城を手に入れたはずの王度が城を放棄し、城の外に駐屯している事が分かりました。

程昱は豪族の薛房の元に行くと、次の様に述べています・

※正史三国志 程昱伝より

程昱「現在の様子を見るに、王度は城郭を手にしたはずなのに、放棄した事を考えると大した事は出来ないはずだ。

王度らは物資や財物を得たいだけであり、鎧を見に纏い鋭利な武器を手に取り戦う気はないのであろう。

今、皆を引き連れて城に戻り、守りを固めるべきだ。

城は堅固であるし、食料も豊富だから県令を探し出し協力して守れば、王度を撃退する事も出来る」

程昱は薛房に城に民衆を連れて城に戻る様に伝えたわけです。

程昱が依頼する所を見ると、薛房は東阿県の中でも有力豪族だったのでしょう。

程昱は薛房の賛成が得られれば、事は進むと考えたはずです。

薛房は程昱の考えに賛同しており、良識のある判断をしたとも言えるでしょう。

城に戻って勝利

程昱は民衆たちを強制的に城に戻そうと考え、薛房は大声で「賊がやってきた」と叫びました。

民衆らは慌てて渠丘山を後にし、城に戻ったわけです。

県令も城に戻ると王度は再び城に攻撃を仕掛けてきました。

しかし、王度の軍は城を落しても守り切れない事が分かっていたのか、手こずったわけです。

城内では薛房も民衆を指揮したりして奮戦していた事でしょう。

こうした中で王度の軍は城攻めを諦めて兵を引きますが、程昱が民衆を引き連れて王度の軍を襲い勝利しました。

程昱と薛房の活躍により、王度の乱を防ぐ事に成功したわけです。

程昱は後に劉岱にも誘われたりしますが、固辞し曹操に仕えて出世していく事になりますが、この後に薛房がどうなったのかは記録がなく不明です。

それでも、地元の豪族として薛房は民衆を守ったと言えるでしょう。

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