名前 | 辰国(しんこく) |
成立 | 不明 |
滅亡 | 246年?? |
本拠地 | 月支国 |
辰国は正史三国志や中国の史書に登場する朝鮮半島の南部にあった国です。
しかし、辰国はある意味、伝説の様な王朝となっており分かり難い部分が多いと言えます。
正史三国志の魏志韓伝を読んでいても、難解な記述にも見受けられます。
辰国は三韓の辰韓と関係が深い様ではありますが、辰国の位には馬韓の者が就いたとあります。
この辺りも意味不明な部分であり、陳寿は朝鮮に関する何かしらの前提知識を持ってはいたが、記述はしなかった様にも見受けられます。
辰国の記述は、矛盾があると指摘される事も多いです。
辰国の記述に関しては、研究者泣かせの部分も多々あるのでしょう。
実際に辰国は存在しなかったのではないか?とする説まであります。
今回は古代朝鮮にあったとされる辰国を解説します。
古の辰国
正史三国志の魏志韓伝の最初に、韓は帯方郡の南にあり馬韓、弁韓、辰韓があると書かれています。
三韓の名前が出た後に、陳寿は次の様に記載しました。
※正史三国志 魏志韓伝より
辰韓というのは、古の辰国である。
上記の記述から辰韓の前身が辰国だった様な書き方をしているわけです。
さらに、雰囲気的には辰国が元は朝鮮半島の南部を治めていた様にも見受けられます。
それでいて、正史三国志の馬韓伝を読むと辰王は月支国に宮廷を置くとあります。
辰国は辰韓と関係が深い様に見せかけておいて、本拠地は馬韓の月支国という事になっています。
さらに、辰王の位には馬韓の者が就いたと記録されているわけです。
後漢書の記述では朝鮮半島南部の韓を支配していたのが、辰国だった様な書き方もしています。
辰国の支配領域や存在に関しては、極めて曖昧な表記だと感じています。
辰国の滅亡
馬韓の地に辰国はあったはずですが、馬韓の伯済国が百済になったとも考えられており、辰国が発展したわけではありません。
辰王は権威により外交などを行った様ではありますが、246年に起きた韓族の反乱や魏による鎮圧の中で、辰国は歴史から姿を消したとも考えられています。
辰国の滅亡がどの様なものだったのかは不明ですが、新羅、百済、高句麗が覇を競う時代になった時には、辰国が存在しなかった事だけは確実でしょう。
辰国は中華王朝による韓の統治機構だったのではないか?とも考えられていますが、どの様な最後を迎えたのかは不明だという事です。
中華の中心地である洛陽から遠く離れており、分かり難い部分が多かったのでしょう。