張春華は、司馬懿の正妻です。
張春華の旦那である司馬懿は、三国志の勝者とも呼ばれています。
それを考えると、張春華は三国志の勝者である司馬懿を最も支えた女性と言えるのかも知れません。
司馬懿と張春華の間には、司馬師、司馬昭、司馬榦、南陽公主がおり、司馬師、司馬昭の有能さからも子育ても成功したと言えるでしょう。
張春華の孫である司馬炎の代で、晋は呉を滅ぼし、天下統一を成し遂げる事になります。
尚、張春華と司馬懿とは不仲だった話もありますが、実際には仲がよかった説もあり、合わせて解説します。
張春華は「恐怖の良妻賢母」として、三国無双シリーズにも登場した事で知名度が上がっている状態です。
上記は張春華のゆっくり解説動画です。
ブログの内容が動画で分かる様になっています。
12歳で殺人!?
張春華は子供の時に、司馬懿の夫人になった話があります。
張春華の夫である司馬懿は「漢王朝は滅びるから仕えても仕方ない。」と考えて、仕官しなかったともされています。
曹操は司馬懿に対して、何度も仕官要請をしますが、司馬懿は中風で動けないと理由を付けて、仕官を拒否していたわけです。
司馬懿は仮病を使っていましたが、天気がいい日に愛用の書物がカビが生えない様に、天日干しをしていました。
しかし、突然雨が降って来てしまい、司馬懿は急いで書物を取りに行きます。
この時に、女中が司馬懿を見つけ、司馬懿が普通に動ける所を見てしまいます。
司馬懿は表向きとして、動けない事を理由に仕官を断わっていたので、不味い状況となりました。
この時に、張春華は「この事がバレれば一族処刑もあり得る。」と判断し、女中を殺害してしまいます。
張春華は女中を殺す事で、口封じをしたわけです。
張春華は西暦189年の生まれともされており、この時は僅か12歳でした。
12歳の少女に、ここまでの行動が本当に出来るのかは分かりませんが、記録を信じれば烈女とも言えるでしょう。
尚、春秋時代に斉で晋の文公(重耳)の妻となった、斉姜も似た様な事をしており、斉姜の故事にならった後付けの設定の可能性もある様に感じます。
因みに、張春華が女中を殺害してしまった事から、炊事などは張春華が行う様になったとする話もあります。
後に、司馬懿は曹操に仕官し、後継者の曹丕から気に入られた事もあり、出世していきます。
断食で死にかける
司馬懿は出世しますが、側室として柏夫人を貰う事になります。
司馬懿の正妻は張春華ですが、柏夫人を寵愛しました。
これにより司馬懿は張春華を遠ざける様になり、邪険に扱う様になったとされています。
司馬懿と張春華は会う事もなくなったとも伝わっています。
ある時、司馬懿が病気となり、張春華が見舞いに行くと、司馬懿は次の様に述べた話があります。
司馬懿「老いぼれのババアが何をしに来た。」
司馬懿は張春華に対して、酷い事を言ったわけです。
張春華は司馬懿の言葉に絶望し、断食でこの世を去ろうとします。
張春華の息子である司馬師や司馬昭も、司馬懿の言葉が酷いと感じたのか、断食を始めてしまいました。
司馬懿は一家で断食が始まってしまった事から、流石に悪いと思ったのか、張春華に謝罪して断食を止めさせた話しもあります。
しかし、司馬懿は次のセリフも吐き捨てた話があります。
司馬懿「お前(張春華)の様な老いぼれのババアなんぞ、どうでもいいが、息子たちを死なせる訳にはいかんからな。」
これを考えると、司馬懿はかなり酷い人であり、張春華が可哀そうになってくる程です。
しかし、張春華と司馬懿の夫婦仲は良好だったとする説もあります。
43歳で出産
先にも述べた様に、張春華と司馬懿の間には、司馬師、司馬昭、司馬榦、南陽公主がいた話があるわけです。
三男で末子の司馬榦を生んだのが西暦232年だとされています。
それを考えると、張春華は司馬榦を生んだのが43歳となり、かなりの高齢出産となります。
夜の営みを考えれば、司馬懿と張春華はある程度の年齢になっても、夫婦仲は良かったとも考えられます。
尚、司馬懿が柏夫人を寵愛したのは、晩年だったとも考えられています。
司馬懿が柏夫人を寵愛したのが晩年だったとすれば、西暦232年以降に司馬懿と張春華の仲が冷め切ったとも推測できるはずです。
司馬懿の暴言に関しては、仲が良かったからこそ、夫婦水入らずで言えた言葉なのかも知れません。
因みに、諸葛亮は容貌が優れなかった月英を妻にしたとありますが、月英との子は出来なかったと考えられています。
諸葛亮の子である諸葛瞻が月英と諸葛亮の子ではなかったとする説です。
それを信じるのであれば、諸葛亮と月英よりも司馬懿と張春華の方が仲が良かったのかも知れません。
張春華の最後
張春華が亡くなったのは、西暦247年だとされており、2年後の西暦249年に司馬懿はクーデターにより曹爽から実権を奪っています。
司馬懿は政敵である、曹爽が曹叡の墓参りに行った隙を狙いクーデターを起こしたわけです。
司馬懿はクーデターを起こす前に、曹爽の使者の前で、ボケ老人の振りをした話があります。
それを考えると、張春華が亡くなる頃には、司馬懿はボケ老人の振りをして一緒に過ごしたのかも知れません。
張春華はボケ老人の振りをする司馬懿を見て、曹操からの仕官を断わっていた時を思い出した可能性もあるでしょう。
それか張春華が亡くなった時に司馬懿は頭が真っ白になり、ボケた感じとなり、「これは使える。」と思い本格的にボケ老人の振りをした可能性もある様に思います。
張春華の最後がどの様な感じだったのかや死因などは伝わっていない為、真実は不明です。
張春華の評価
張春華は残っている逸話が少なく、評価するのが難しい人物でもあります。
12歳で女中の話を聞けば機転を利かせた烈女だと言えるでしょう。
ただし、王異ほどの烈女でもなく、孫尚香ほどあらぶった女性でもなかったのでしょう。
帝王には陰で支える女性がいたとされ、司馬懿が三国志で一番の出世頭だと言うのであれば、張春華が家を取りまとめたのは大きいと言えます。
末喜、妲己、褒姒の様な悪女ではなかった事は確かです。