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海幸彦は山幸彦の家来にされてしまった可哀そうな神様

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宮下悠史

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名前海幸彦
別名火照命、火闌降命
登場日本神話
一族父:瓊瓊杵尊 母親:木花咲耶姫
兄弟:火須勢理命、山幸彦、火明命
コメント釣りや海での漁が得意

海幸彦は古事記や日本書紀に登場する日本神話の神様です。

海幸彦の母親である木花咲耶姫は炎の中で生んでおり、炎が盛んになった時に生まれたのが海幸彦であり、別名が火照命となっています。

海幸彦の弟には一緒に生まれた火須勢理命、火遠理命(山幸彦)、火明命の三柱がいます。

木花咲耶姫が出産を終えると日本神話は海幸彦と山幸彦を舞台にした物語に移行します。

日向神話とも呼ばれる日向三代の二代目が海幸彦と山幸彦の話です。

海幸彦は意地悪な神様であり、最終的に山幸彦に復讐されて家来にされてしまいます。

海幸彦の子孫が隼人で阿多君だと伝えています。

しかし、山幸彦にも非はあり、海幸彦には「気の毒」「可哀そう」などの同情の声が寄せられる事もあります。

尚、海幸彦を祀っている神社は宮崎県の潮嶽神社のみであり、この点も気の毒だと言われる由縁なのでしょう。

今回は日向三代に登場する海幸彦をベースに解説します。

道具の交換

海幸彦は海の鰭の大きな魚や小さい魚を捕るのが得意でした。

漁業が得意な海幸彦に対し、山幸彦は山で獣を獲るのが得意だったわけです。

山幸彦はある日、「お互いの道具を交換してみよう」と海幸彦に述べました。

海幸彦は道具の交換を嫌がりますが、山幸彦の熱意に押され道具の交換を受諾しています。

海幸彦と山幸彦が道具を交換してしまった事が、後の不幸を呼ぶ事になります。

人には向き不向きがある

海幸彦は山幸彦の道具を持って山に狩りに行きますが、獲物は捕れず失敗に終わっています。

山幸彦も海幸彦の釣り道具を持ち漁に出ますが、全く上手くはいきませんでした。

海幸彦は「山の獲物も海の獲物も自分の道具があってこそだ。道具を戻そう」と伝えています。

海幸彦は道具を戻そうと言いますが、海幸彦は海で釣り針を無くしており、返す事が出来ませんでした。

ここで海幸彦は山幸彦に「釣り針を返せ」と責め立てる事になります。

普通で考えれば海で落とした釣り針を持ってくる事は不可能であり、海幸彦は意地悪だと言われる理由にもなっています。

山幸彦は十拳剣を壊し千本の釣り針に変えて返却しようとしますが、海幸彦は「元の釣り針で無ければダメだ」と納得しませんでした。

普通で考えれば「そろそろ許してやれ」となるのかも知れませんが、海幸彦は許さなかったわけです。

この寛容さに欠ける海幸彦の態度が後に禍となって戻ってくる事になります。

釣り針を持ち帰った山幸彦

山幸彦は途方に暮れますが、塩椎神と出会い海底宮殿に行く事になります。

海底宮殿では大綿津見神や豊玉姫と出会いました。

山幸彦は3年間も海底宮殿で暮らしますが、大綿津見神の計らいにより釣り針を見つける事も出来たわけです。

山幸彦は地上に戻る事になりますが、大綿津見神は「潮の満ちる玉」と「潮の干る玉」を授け、釣り針を返す時の海幸彦への呪いの言葉を教えました。

山幸彦は佐比持神の背中に乗り海幸彦がいる地上に戻ったわけです。

山幸彦の復讐

山幸彦は海幸彦に釣り針を返しますが、大綿津見神から聞いた呪いの言葉を述べ後ろ向きにして釣り針を返しました。

呪いの言葉が功を奏し海幸彦は、どんどんと貧乏になり、山幸彦に戦いを挑んで来たわけです。

海幸彦は山幸彦の攻撃を仕掛けますが、山幸彦は潮満ちる玉を使い海幸彦を溺れさせています。

海幸彦は潮満ちる玉により苦しめられ山幸彦に土下座し「私は今から貴方様を昼も夜も守る者となりお仕えします」と平伏しました。

山幸彦も潮干る玉を使い海幸彦を助けますが、ここから先は海幸彦は山幸彦の家来になったわけです。

海幸彦(火照命)の子孫は隼人になったと記録されています。

古事記には「今に至るまで火照命(海幸彦)の子孫の隼人は、火照命が溺れた時の様子を演技して絶える事無く仕っている」と書かれています。

海幸彦にとっては屈辱のシーンを伝世されてしまったと言えるでしょう。

海幸彦は可哀そうな神様なのか

海幸彦と山幸彦の物語ですが、一般的には意地悪な海幸彦の自業自得だと考える場合が多いと言えます。

しかし、山幸彦は釣り針を無くしており「自分で釣り針を無くしておいて兄に復讐するのはひどすぎる」とする声もあり、海幸彦が可哀そうなど同情の声が寄せられる事も多いです。

他にも、海幸彦と山幸彦には瓊瓊杵尊と木花咲耶姫という両親がいたはずですが、仲裁はしなかったのか?などの問題もあります。

子供の喧嘩であれば親が仲裁するべきとする声もあるという事です。

尚、日本神話においては兄が不幸な目にあい弟が得をするパターンが多く、日本神話の兄弟の法則に従ったのが海幸彦と山幸彦の話でもあります。

因みに、山幸彦の子孫はウガヤフキアエズ、神武天皇と続き皇室へと繋がって行きますが、海幸彦の子孫は隼人となり阿多君の先祖になったとしか記録されていません。

海幸彦と神社

海幸彦を祀る神社は日本国内を探しても潮嶽神社しかありません。

潮嶽神社は「うしおだけじんじゃ」と読みます。

海幸彦が気の毒だと言われる理由の一つに祀られている神社が潮嶽神社しかない事も挙げられる事でしょう。

尚、潮嶽神社は海幸彦と山幸彦の舞台になっているとも考えられています。

名前住所電話番号
潮嶽神社宮崎県日南市北郷町北河内8901-10987-55-3252

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