名前 | 竜山文化 |
読み方 | りゅうざんぶんか |
ろんしゃんぶんか | |
時代 | 紀元前3千年から紀元前1千7百年頃 |
コメント | 黒陶が有名 |
竜山文化は黄河の中流域から下流域に栄え黄河文明の一つとして数えられています。
紀元前3000年頃から紀元前2000年頃まで栄えたと考えられている状態です。
ただし、最近の研究では紀元前1700年ごろまで栄えたと考える専門家もいます。
黄河中流域の仰韶文化よりも遅れて発展したのが、竜山文化であり、竜山文化が夏王朝や殷王朝へと繋がるとも考えられています。
竜山文化には黒陶があり、仰韶文化の彩陶と比べると、土器の厚みが圧倒的に薄く強度も増している事が分かりました。
さらに、竜山文化の黒陶では三本足の鬲や鼎といった三足土器も多く作られる様になります。
三足土器の誕生により人々は煮炊きが一般的にもなり、仰韶文化と比べても人々の生活は向上したと言えるでしょう。
黒陶の誕生
竜山文化で最大の特徴と言えば、黒陶の誕生だと言えるでしょう。
竜山文化自体が黒陶文化として呼ばれる場合もあります。
仰韶文化の彩陶と比較すると、黒陶は窯を使い高温で焼かれた事が分かっています。
黒陶は真っ黒で艶があり光沢もありますが、表面は比較的すべすべしていたりもします。
さらに、土器の強度は増し実用性という面で彩陶をはるかに上回る事になります。
黒陶で三足土器がつくられる様になると、土器の下に火を焚く事が可能となり、人々は煮炊きが出来る様になりました。
土器の中には鬲と呼ばれるものと鼎と呼ばれるものがあり用途は異なります。
竜山文化の代表的なものは黒陶と言っても過言ではないでしょう。
尚、夏王朝の始祖である禹が九鼎を作り殷王朝、周王朝と受け継がれますが、周が秦に滅ぼされた時に、九鼎が泗水に沈んだとする話があります。
始皇帝は九鼎を得ようとしますが、結局は得る事が出来ませんでした。
鼎は帝王の象徴ともなっていたわけです。
それを考えれば鼎は王者の証にもなったと言えるでしょう。
夏王朝や殷王朝と関係があるのか?
竜山文化が夏王朝や殷王朝と関係しているのではないか?とする説が存在します。
夏王朝は考古学的な証拠はありませんが、紀元前2070年頃の始まりだとされています。
夏王朝の始まりの時期が竜山文化の時期と重なる事で、夏王朝と竜山文化は関係があるのではないか?とも考えられるわけです。
ただし、夏王朝は実在が確認されておらず、竜山文化は殷王朝の母体になったともされています。
そうなると夏王朝以前の三皇五帝はどうなるのか?という問題がありますが、こちらは仰韶文化にあたるとか、様々な事が言われています。
ただし、二里頭遺跡が夏王朝だと言う人もおり、はっきりとしない部分でもあります。
それでも、竜山文化では鼎が多く作られた事で、夏王朝の始祖である禹を思い起こす部分もあるわけです。