古代中国

黒陶と三足土器の誕生

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宮下悠史

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名前黒陶(こくとう)
時代黄河文明
場所竜山文化(黄河中下流域)

黒陶は竜山文化を代表する土器です。

竜山文化は黄河中下流域で栄えており、黄河文明の一つとして数えられています。

黒陶は仰韶文化の彩陶と比較される事が非常に多いです。

彩陶は赤や白などの鮮やかな模様をつけていますが、非常に脆く壊れやすいと言えます。

それに対し、黒陶は土器の厚みも薄くなったのにも関わらず、耐久性が大幅に上がりました。

さらに、竜山文化の黒陶では三足土器が使われる事が多くなります。

土器に3つの足がついた事で、煮炊きが簡単に出来る様になり人々の生活が向上しました。

彩陶から黒陶への変化を見ると黄河文明の技術力が上がっている事がよく分かります。

尚、高温で焼く事で土器の色は黒くなり、黒陶の名前が付けられました。

黒陶よりも温度を下げて加熱された土器を灰陶と呼びます。

高温で焼かれた土器

仰韶文化の代表的な土器である彩陶は素焼きだった事が分かっています。

素焼きの為、熱が逃げてしまい、どうしても脆い土器しか出来ませんでした。

仰韶文化の彩陶に対し、竜山文化の黒陶は窯を使って焼くのが特徴です。

窯があれば熱が逃げずに循環させる事が可能であり、高温で焼く事が出来る様になります。

高温で土器を焼けば強度に優れた土器が出来上がる事になります。

さらに、彩陶では土器の厚みを必要としましたが、黒陶であれば土器の厚みは凝縮され、非常に薄いものとなりました。

黒陶の厚みの薄さは考古学者が「エッグシェル」とも呼んでおり、如何に厚みが薄くなったのかが分かるはずです。

高温で焼かれた土器は黒くなり黒陶の名前の由来にもなっています。

三足土器と煮炊き

仰韶文化の彩陶でも三本足の土器が見つかっていますが、全体的な数は多くはありません。

しかし、竜山文化の黒陶の時代になると、三足土器が多く作られました。

三本の足というのは安定しやすいメリットがあり、地面においたりして立てる事も出来る様になります。

三本足というのは非常に安定します。

仰韶文化の彩陶は穀物などを貯蔵する壺として作られたりしましたが、竜山文化の黒陶となると三足土器を使って煮炊きが可能となったわけです。

三足土器の足が袋状になっているものを鬲と呼び、足が棒のようになっているものを鼎と呼びます。

鼎は煮るのに使い、鬲は穀物を蒸して焚く為に使ったと考えられています。

三足土器の誕生により黄河文明では煮炊きが完全に出来る様になったと言えるでしょう。

食物を煮たり焼いたりする事で栄養価を増したり毒素が抜けたりして、食卓が豊かになりました。

竜山文化の黒陶が出来て三足土器が普及した事で、人々の生活が向上したと言えるでしょう。

尚、中国では3,6,9などの倍数が尊ばれる話もありますが、その辺りの由来は黒陶の三足土器にあるのかも知れません。

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