名前 | 壱岐値真根子 |
読み方 | いきのあたいまねこ |
登場 | 日本書紀 |
主君 | 応神天皇 |
コメント | 武内宿禰のそっくりさん |
壱岐値真根子は日本書紀に登場し、容貌が武内宿禰に似ていた話しがあります。
武内宿禰は弟の甘美内宿禰に讒言され死罪を命じられました。
当然の如く武内宿禰は納得が出来ず嘆きますが、側にいたのが壱岐値真根子です。
壱岐値真根子は武内宿禰がここで亡くなってしまうのを惜しみ助言をし、代わりに自刃しました。
壱岐値真根子の死に奮起した武内宿禰は応神天皇の元まで行き、甘美内宿禰との盟神探湯で勝負し勝利しています。
今回は古代日本の名臣である武内宿禰を救った壱岐値真根子を解説をします。
尚、壱岐値真根子は壱岐神社や真根子神社などに祀られています。
武内宿禰の危機
応神天皇の9年に武内宿禰は応神天皇の命令で九州の筑紫に下向しました。
壱岐値真根子は壱岐直の先祖だとあり、九州の北にある壱岐の領主だったのでしょう。
大和から重臣である武内宿禰が筑紫を訪れると聞き、壱岐値真根子も挨拶にやってきた様に感じています。
壱岐値真根子は武内宿禰と一緒にいたわけですが、武内宿禰が大和を離れた隙に、弟の甘美内宿禰が武内宿禰を排除しようと画策しました。
ここにおいて、武内宿禰の死罪が申しつけられたわけです。
武内宿禰は嘆き、次の様に述べました。
※日本書紀より
武内宿禰「私は二心を抱く事は無い。
忠義を以ってお仕えしているのだ。
何の罪があり死なねばならぬのだ」
武内宿禰の言葉からは無念さがにじみ出ています。
武内宿禰は景行天皇の時代から朝廷に仕え最初の大臣となり、神功皇后の時代には大きな功績があったわけです。
こうした武内宿禰の死罪を聞いて、惜しんだのが壱岐値真根子です。
壱岐値真根子が身代わりとなる
壱岐値真根子も忠臣と言ってもよい人物であり、武内宿禰に向かって次の様に語り出しました。
※日本書紀より
壱岐値真根子「大臣(武内宿禰)は忠義を以って君に仕え、悪しき心を持っていない事は天下の人々は皆が知っているのです。
密かに朝廷に戻り、自らが罪がない事を弁明してから、自刃しでも遅くはないでしょう。
私は知人に『お前の顔は武内宿禰によく似ている』と言われる事が多いです。
私が大臣に代わって死に、大臣の赤心を天下に明らかにしましょう」
壱岐値真根子は言い終わると、即座に剣をあてて自刃しました。
武内宿禰は壱岐値真根子の死を多いに悲しんだとあります。
壱岐値真根子が自刃した事で、武内宿禰は死んだこととなりました。
武内宿禰は壱岐値真根子の死を無駄にしない為にも、密かに船で大和を目指しました。
武内宿禰は応神天皇の前で弁明し、最後は甘美内宿禰との盟神探湯で勝利し無罪を勝ち取る事になります。
壱岐値真根子の死は無駄にはならなかったわけです。
壱岐値真根子は神社にも祀られたりしますが、日本書紀の烈士ぶりを見るに祀られて当然だとも感じました。
壱岐値真根子が祀られている神社
壱岐値真根子が祀られている代表的な神社です。