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メギドの戦い(紀元前15世紀)

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宮下悠史

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メギドの戦い紀元前15世紀
勢力エジプト第18王朝カナン連合
兵力不明エジプト軍よりも少ない
損害不明不明
勝敗

メギドの戦いはエジプト新王国とカデシュ王を盟主とするカナン連合の戦いです。

エジプト新王国ではハトシェプストが亡くなると、直ぐに外征を行っており、これがメギドの戦いとなります。

メギドの戦いではトトメス3世が危険を冒して、中央ルートを進むなどし、結果的に勝利に繋げる事になります。

メギドの戦いはエジプト第18王朝がメギドを掌握する結果となり、エジプトにとっては価値が高い戦いでもありました。

メギドは重要拠点

トトメス3世の遠征の主目的は、戦略上きわめて重要な都市メギドの奪還でした。

メギドはメソポタミアとの交易路を押さえる要衝であり、シリア方面からエジプトへ抜けるための交通の重要な場所でもありました。

そのため、エジプトにとってメギドは何としても確保すべき地域であり、反エジプト勢力にとっても絶対に失いたくない拠点でした。

「メギドの丘」という言葉をご存じかもしれません。

ヘブライ語で「メギドの丘」を意味する「ハル・メギド」が、後に「ハルマゲドン(世界終末の戦い)」の語源となった場所です。

まさにその地で、トトメス3世は決戦に臨もうとしていたのです。

3つのルート

反エジプト勢力の盟主はカデシュ王であり、メギドの戦いでトトメス3世が対峙したのは、カデシュ王を中心とするカナン諸都市の連合軍でした。

カナン連合の背後には、ミタンニ王国もおり強気だったのでしょう。

エジプト軍は驚異的な速度で進軍し、1日あたり約26キロを移動して、わずか9日で前線基地のガザに到着したと伝えられています。

その後、エジプト軍はメギドのあるエズレル平原に向かい、カルメル山脈の反対側に広がるシャロン平原にまで進出しました。

メギドへ向かう進軍に際し、トトメス3世は配下の将兵が推奨した南北の安全なルートではなく、あえて危険な中央ルートを選択しました。

中央ルートは険しい山道で、軍勢は一列縦隊で進むしかありません。

もし先頭部隊が敵と遭遇すれば、後続の兵士は戦闘に加われず、壊滅の危険すらあると考えられていました。

しかし、偵察の報告によれば、カナン連合軍はエジプト軍が南北の道から攻めてくると予想し、兵力を南北に分散して配置しているとのことでした。

この情報を受け、トトメス3世は「だからこそ中央ルートを進むべきだ」と主張します。

家臣たちが強く反対した際、トトメス3世は「ならば自分が先頭に立って小隊を率い、中央ルートを行軍する」と宣言し、危険な中央ルートでの進軍を決断しました。

これは極めてギャンブル性の高い戦略でした。

もし敵が中央ルートで待ち構えていれば、先頭を行くトトメス3世自身が討ち取られる可能性もあったからです。

しかし、この大胆な賭けに勝利したのはトトメス3世でした。

メギドの戦いと包囲戦の長期化

トトメス3世は、最後の兵士が山道を越えるまで自ら見守っていたと伝えられており、その姿勢から非常に人格者であったと評価されています。

ただし、これらの逸話の多くは「トトメス3世年代記」に記されているもので、どこまでが事実で、どこからが誇張なのかは判断が難しい部分もあります。

それでも、エジプト軍は全軍が無事に山越えを果たし、エズレル平野に集結することに成功しました。

一方、カナン連合軍は南北に分散させていた兵力を急いでメギド周辺に集め、迎撃態勢を整えています。

両軍の兵力については諸説あり、双方とも約1万5千の兵力だったとする説や、エジプト軍が1万、カナン連合軍はそれより少なかったとする説などが存在します。

いずれにせよ、メギドをめぐる戦いは、古代エジプトにとっても、カナン諸国にとっても、絶対に譲れない決戦であったことは間違いありません。

夜になると、エジプト軍が不意を衝き現れた事で、カナン連合軍はあわててメギドの丘に集結しました。

トトメス3世は「夜のうちにメギドの丘を包囲し、敵が回復する隙を与えないように」と命じます。

トトメス3世の抜かりなさがよく分かります。

エジプト軍は戦闘隊形として、両翼に歩兵を、中央には弓による攻撃を主体とするチャリオット(戦車部隊)を配置しました。

この布陣によってエジプト軍は強烈な攻勢をかけ、見事にカナン連合軍を撃破することに成功します。

暴走する兵士

メギドの戦いはエジプト軍が戦いに勝利し、圧勝かに思われました。

しかし、勝利の直後、エジプト兵たちは敵陣地の略奪に夢中になり、追撃命令が行き渡らなくなってしまいました。

もしこの時、兵士たちが略奪に走らず、統制の取れた追撃を行っていれば、戦いはもっと早く決着していたと考えられています。

トトメス3世は状況を立て直すため、周囲の森から木材を集めて柵を築き、メギドを包囲しました。

この段階でメギドの補給線は断たれていたと見られます。

それでも戦いは長期化し、最終的にメギドが降伏したのは包囲開始から7か月後のことでした。

略奪による追撃の遅れが、戦争を長引かせた大きな要因だったと言えるでしょう。

それでもトトメス3世はメギドの戦いに勝利し、年代記には戦車894台、鎧200点、馬2000頭、動物2500頭といった莫大な戦利品を得たと記されています。

これらの数字がどこまで正確かは不明ですが、戦利品の規模が非常に大きかったことは確かです。

しかし、メギドの戦いだけでは戦いは終わらず、トトメス2世は17回もの遠征を行う事になります。

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