ヘレニズム時代

ティルス攻城戦は七カ月間続けられた。

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宮下悠史

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名前ティルス攻城戦
年表紀元前332年
コメントアレクサンドロス大王がティルスを攻撃した戦い

ティルス攻城戦はアレクサンドロス大王がティルスを攻撃し、勃発した戦いです。

アレクサンドロス大王はイッソスの戦いでアケメネス朝ペルシアの軍を破り、さらに東方への侵攻を目指しますが、後方の憂いを断つためにフェニキア人の都市群に侵攻しました。

フェニキア人の多くの都市は降服しましたが、ティルスは降服せずティルス攻城戦が始まる事になります。

ティルスは小島であり、アレクサンドロス大王は突堤を作るなどし、七か月掛けて城を陥落させました。

アレクサンドロス大王の登場とティルス攻囲戦

紀元前333年、マケドニアのアレクサンドロス大王がイッソスの戦いでペルシア軍を破り、東方遠征の時代が始まります。

アレクサンドロス大王は地中海東岸の諸都市に向かい、アラドス、ビブロス、シドンの王たちは降伏を選びました。

ティルスも当初は降伏の意向を示しましたが、アレクサンドロス大王がメルカルト(ギリシア世界ではヘラクレスと同一視される)の神殿で生贄を捧げたいと望んだことで状況が変わります。

アレクサンドロスの家系は伝統的にヘラクレスの末裔とされており、ティルスの神殿で儀式を行うことは「自分こそがフェニキアの神の正統な継承者である」という強い政治的メッセージを持っていました。

さらに、ティルスのメルカルト神殿は、世界中のフェニキア植民都市が朝貢を送る経済ネットワークの中心であり、ここを掌握することはフェニキア全体の経済的主導権を握ることを意味していました。

ティルス側はこの意図を見抜き、降伏を拒否して徹底抗戦を選びました。

この時にティルスはアレクサンドロス大王の使者を斬り海に投げ捨て、徹底抗戦を示した話が残っています。

これによりティルス攻城戦が始まりました。

尚、アレクサンドロス大王に歯向かうのは無謀に思うかも知れませんが、過去にティルスは新バビロニアの攻撃を13年間も持ちこたえた事があり、長期戦になれば撤退に追い込めると考えていたのではないでしょうか。

ティルスでは住民の非戦闘員の老人や婦女子をカルタゴに遷し、マケドニア軍を迎え撃つ事になります。

ティルス陥落

当時、アレクサンドロス軍には海軍がありませんでした。

そのため、彼は大陸とティルス島を結ぶ突堤を築くという大胆な作戦に出ます。

アレクサンドロス大王は海を埋め立て突堤を建造し、ティルスを攻略しようと考えたわけです。

突堤が城壁に近づくと、ティルス側は城壁上からの攻撃や海軍による破壊工作でこれを阻止し、嵐の影響もあって突堤は一度崩壊しました。

しかし、アレクサンドロス大王は諦めませんでした。

ここで、すでに降伏していたフェニキア諸都市が海軍を提供し、アレクサンドロス側として参戦します。

アレクサンドロス大王はこの海軍を用いてティルスの艦隊を封じ込め、新たに築いた突堤から城壁を攻撃し、海上からも包囲を加えました。

ティルス側は兵力を分散せざるを得ず、攻城戦が始まってから7か月後、マケドニア軍は南側の城壁を突破し、ティルスは陥落したとされています。

フェニキア文明の転換点

ティルス攻囲戦の最終局面で、ティルス王アゼミルコスは王族とともにメルカルト神殿へ退避し、アレクサンドロス大王から恩赦を受けたと伝えられています。

しかし、城内ではマケドニア軍とティルス軍の間で激しい市街戦が行われ、多くの犠牲者が出たほか、捕虜となった住民が奴隷として売られるなど、深刻な被害が生じました。

アレクサンドロス大王はティルスに入城すると、メルカルト神に犠牲を捧げ、さらに観閲式や観艦式を行い、体育競技や松明競技を催したとされています。

これはティルス制圧を象徴する儀式であると同時に、東地中海の支配権を掌握したことを内外に示す行為でもありました。

カルタゴはティルスに救援を送ることを約束していましたが、実際には援軍を派遣することはできませんでした。

当時のカルタゴは西地中海でギリシア系都市国家(特にシラクサ)との戦争に追われており、東地中海へ大規模な艦隊を派遣する余力がなかったためです。

このため、ティルスは孤立した状態で戦わざるを得ず、最終的に陥落しました。

この出来事をもって「フェニキア文明の終焉」とみなす見解もあります。

世界はヘレニズム文化が浸透していく事になります。

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