
アブデルアジーズはムーサの子で、イベリア半島を統治した人物です。
ムーサとターリクは大きな功績を残しますが、ダマスクスに帰還した後に失脚しました。
ダマスクスの帰還に同行せず、アブデルアジーズはイベリア半島で奮闘する事になります。
アブデルアジーズは西ゴート王国のロデリックの妻とされる女性と結婚するなど、イベリア半島で地盤を固めました。
それでも、父親のムーサが失脚し、イベリア半島で積極的に政治を行ったアブデルアジーズを危険視したのか、ウマイヤ朝の中央でありアブデルアジーズの暗殺を決行しました。
アブデルアジーズは世を去ったわけですが、イベリア半島の政治は乱れる事になります。
アブデルアジーズのイベリア半島統治
アブデルアジーズはムーサがダマスカスに戻った後もイベリア半島に残り、イスラム領の統治を担いました。
ダマスクスにターリクと共に戻ったムーサは失脚しています。
しかし、イベリア半島に残ったアブデルアジーズは、そのまま活躍する事になります。
アブデルアジーズは軍事・政治の両面で手腕を発揮し、ポルトガル沿岸部、マラガ、バルセロナ周辺などを勢力圏に組み入れました。
また、領土拡大だけでなく、宗教・民族・派閥間の対立を抑えるなど、統治面でも実績を積み重ねました。
さらに、アブデルアジーズは西ゴート王国最後の王ロデリックの妻とされる女性と結婚し、現地との関係強化を図ったとされています。
こうした政策により、アブデルアジーズはウマイヤ朝の臣下でありながら、イベリア半島における独自の権威を持つ存在となっていきました。
アブデルアジーズは父親のムーサの統治を良く学び、イベリア半島で地盤を固めていく事になります。
アブデルアジーズの最後
ウマイヤ朝のカリフのスレイマンはアブデルアジーズの勢力拡大を警戒し、排除を図ったとされています。
ダマスカスからイベリア半島までは距離があり、軍を派遣しても確実に勝利できるとは限らなかったため、スレイマンは暗殺という手段を選んだと伝えられています。
アブデルアジーズの従弟2人が刺客として派遣され、716年、セビージャのモスクで祈っていたアブデルアジーズを暗殺したとされています。
アブデルアジーズやムーサが処罰された背景には、彼らが大きな影響力を持つようになったことが、ウマイヤ朝の中央政権にとって脅威と映った可能性も指摘されています。
アブデルアジーズはセビージャで支持を得ていたため、彼の死後に地元の有力者が反乱を起こす懸念がありました。
そこでスレイマンは、イベリア半島における行政の中心をセビージャからコルドバへ移す決定を下したとされています。
スレイマンは、アブデルアジーズを暗殺した716年に、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)へ大規模な遠征軍を派遣し、陸海両面からコンスタンティノープルを攻撃しました。
しかし、ビザンツ側の防衛は堅固で、ウマイヤ朝軍は攻略に成功しませんでした。
この遠征の最中にスレイマン自身が死去します。