古代オリエント 古代ローマ

ナバテア王国の歴史と国体を解説

スポンサーリンク

宮下悠史

YouTubeでれーしチャンネル(登録者数5万人)を運営しています。 日本史や世界史を問わず、歴史好きです。 歴史には様々な説や人物がいますが、全て網羅したサイトを運営したいと考えております。詳細な運営者情報、KOEI情報、参考文献などはこちらを見る様にしてください。 運営者の詳細

名前ナバテア王国
建国と滅亡前169年ー後106年
コメント現在のヨルダンを中心に栄えた

ナバテア王国はペトラを中心に交易都市として栄えました。

ナバテア人は紀元前312年にアンティゴノス朝マケドニアの攻撃を受けますが、連勝しました。

ただし、プトレマイオス朝エジプトには敗れた記録も残っています。

この頃に王がいたとする説もあり、既に王国が出来ていたともされていますが、ナバテア王国の最初の王の名前が確認出来るのが、紀元前169年頃に即位したとされるアレタス1世です。

ナバテア王国はヘロデ朝ユダヤ王国や共和制ローマとも戦った記録がありますが、アレタス4世の時代に全盛期を迎えました。

ただし、交易路の変更もありパルミラが栄える様になると、ナバテア王国は弱体化する事になります。

最終的に、ナバテア王国はローマ帝国のトラヤヌス帝により、西暦106年に併呑され滅亡しました。

尚、ナバテア王国のあった地は、イスラムの発祥の地でもありますが、元々は多神教であり、セム語系の民族と共通の神々を祀り神像も作っていた事が分かっています。

ナバテア王国成立前の記述に関しては「ナバテア人」の記事を読むようにしてください。

ナバテア王国の始まり

紀元前169年頃、ペトラの商業貴族の力が強まり、その長老の一人アレタスが支配権を奪いました。

アレタス1世を初代として、ナバテア王国に君臨する事になります。

これがナバテア王国の始まりでもあります。

ただし、これ以前から王がいたのではないかともされていますが、名前が分かる最初のナバテア王がアレタス1世となっています。

ナバテア王は王宮に住み、ナバテア王国は発展していく事になります。

アレタス1世の治世

ナバテア王国のアレタス1世ですが、旧約聖書のマカバイ記には暴君として登場しています。

紀元前168年にイスラエルの大司祭であるヤソンがエルサレムから追放されました。

ヤソンはセレウコス朝シリアのアンティオコス4世に任命された大司祭でしたが、追放されてしまったわけです。

セレウコス朝シリアではヤソンにユダヤ人を支配させ、統治しようとしたのでしょう。

ヤソンはユダヤ人に受け入れられる事は無く、追放されました。

ヤソンは各地を放浪しますが、ナバテア王国のアレタス1世の捕虜となりました。

しかし、ヤソンは逃亡し放浪を続けスパルタやエジプトに行った話があります。

ヤソンはセレウコス朝シリアと近しい人物であり、ヤソンが登場したのは、ナバテア王国が反セレウコス朝シリアであり、プトレマイオス朝エジプトと親しかったからだとする説もあります。

尚、アレタス1世の治世は何年だったのかも分かっておらず、次のナバテア王として記録があるアレタス2世との関係も不明です。

ナバテア王国と飲酒の始まり

遊牧民は飲酒をしない

ナバテア王国では王は宴会時に飲酒をしますが、量に制限があったとする記録が残っています。

ナバテア人は元は遊牧民が大半であり、遊牧民は基本的に飲酒文化はありません。

遊牧民は酒を造る為の原材料や、道具を持って移動する事は基本的にありえないと考えた方がよいでしょう。

飲酒の制限があるのは、遊牧民時代の遺風だったと考えられています。

さらに言えば、定住した事で飲酒の文化も始まったのでしょう。

飲酒の規定

ナバテア王国の飲酒に関する規定があった事が分かっており、次の様に記録されています。

13人の客(長老会??)、2人の歌姫、酒は11杯

1人で11杯まで飲めるのか、全員で11杯なのか不明です。

後の世になると、この地ではイスラム教が拡がりますが、イスラム法では飲酒が禁止となっています。

アルコールになれてない人が呑むのは危険だから、禁止になったのではないかとする説があります。

ナバテア王国では都市生活(定住)により葡萄畑を持ち、酵造所もあった事が考古学的に証明されており、王たちが飲酒をしていた事は間違いないでしょう。

アレタス2世の治世

紀元前120年くらいから、アレタス2世の治世が始まったと考えられています。

アレタス2世はハスモン朝ユダヤ王国の、アレクサンドロス・ヤンナイオスと同時代の人だという事が分かっています。

ヤンナイオスの治世は紀元前103年からであり、アレタス2世は紀元前96年までナバテア王国の君主だったとされています。

紀元前99年にハスモン朝ユダヤ王国のヤンナイオスがガザを攻撃し、ガザはナバテア王国に救援を求めますが、援軍は来ずガザは破壊されました。

アレタス2世はガザに援軍を派遣しなかったのでしょう。

オボダス1世の治世

ハスモン朝ユダヤ王国を破る

ナバテア王国のオボダス1世はユダヤのハスモン朝に勝利した記録があります。

ゴラン高原やガリラヤ湖の戦いでも、ヤンナイオスの軍を破っており、ナバテア王国は順当に勢力を拡大させたと言えるでしょう。

ナバテア王国はガザへの救援は行けませんでしたが、見事にハスモン朝ユダヤ王国の軍を破りました。

ナバテア王国の北進

紀元前100年頃にハスモン朝がガザを占拠し、香料の輸送が出来なくなった話があります。

ナバテア王国としては何としても交易路の確保が必要であり、ナバテア人は海岸までの他のルートを守るために、北方に進出する事になります。

こうした中で他のアラブ系の集団とも結びつくようになり、紀元前1世の初頭にはナバテア王国の影響力がダマスクスの南のハウラーン平原にまで及んだ話があります。

尚、紀元前1世紀頃になると、ナバテア王国のペトラは隊商交易により、かなり潤っていたようです。

セレウコス朝シリアを破る

前86年頃にセレウコス朝シリアの、アンティオコス12世による南方侵略が行われました。

セレウコス朝シリアは、ナバテア人の富を目当てに行われたと考えられています。

オボダス1世はセレウコス朝シリアを退けました。

ハスモン朝ユダヤ王国とセレウコス朝シリアの軍を破った事で、ナバテア王国のオボダス1世はその武勲から神格化され、アヴダト神殿が建設されました。

尚、オボダス1世はセレウコス朝シリアを、破った翌年である紀元前85年に亡くなっており、激戦の疲れがきたのかも知れません。

ラベル1世が即位するも、翌年には亡くなってしまったようです。

アレタス3世の治世

ダマスクスまで勢力を拡大

紀元前84年頃にアレタス3世が、ナバテア王国の君主となりました。

アルメニア王国は共和制ローマと争い、この隙にナバテア王国はダマスクスを支配下に入れる事に成功しました。

ダマスクスの住民はイトゥエラ人の山賊行為に悩まされており、セレウコス朝シリアも振るわず、ナバテア王国のアレタス3世を迎え入れたと考えられています。

ナバテア王国はアレタス3世の時代にダマスクスにまで、勢力を拡げました。

ナバテア人はダマスクスに15年程駐留し、安定した統治を行ったとする話もあります。

ただし、ダマスクスを巡って、アルメニア王国と争う事になります。

尚、アレタス3世はギリシアやローマの建築様式を取り入れた君主でもあります。

ナバテアのエル・カズネの遺跡も古代ギリシア様式で建造されていた事が分かっています。

アレタス3世はダマスクスの造幣局に、古代ギリシア文字で自らの名を刻んだ銀貨を製造させました。

当時のオリエントの世界ではアラム語が支配的でしたが、アレタス3世が如何にギリシア文化を取り入れようとしたのかが分かる話でもあります。

しかし、アルメニア王国のティグラネス2世により、紀元前72年にダマスクスを明渡しました。

ナバテア王国と共和制ローマの戦い

アレタス3世の時代にハスモン朝ユダヤ王国では、君主のヒルカノス2世が弟のアリストブロス2世に国を追われました。

これが紀元前67年の話です。

追い出されたヒルカノス2世はナバテア王国に助けを求めています。

アレタス3世はヒルカノス2世を援助し、5万の軍でエルサレムを包囲しました。

当時のナバテア王国は人口増加もあり、大規模な軍を繰り出せる様になっている事が分かる記述でもあります。

アリストブロス2世は共和制ローマに助けを求め、ポンペイウスの部下のスカウルスがハスモン朝ユダヤ王国を助ける為に動く事になります。

スカウルスの軍はナバテア王国の首都のペトラに進軍しました。

共和制ローマの軍は精強でしたが、ペトラを陥落させる事は出来ませんでした。

紀元前63年には共和制ローマのポンペイウスが、エルサレムに入るなどしています。

ナバテア王国も強大な力を持つ共和制ローマが相手であり、ナバテア王国は賠償金を支払い和睦を結んでいます。

形式の上ではナバテア王国は、共和制ローマの属国になってしまったと言えるでしょう。

紀元前62年頃にアレタス3世が亡くなると、オボダス2世が即位しますが、数年で世を去りました。

マリクス1世の治世

紀元前59年頃にマリクス1世が即位する事になります。

マリクス1世は謎の人物であり、一つの説としてヘロデ朝の開祖であるヘロデ大王の親戚ではないかとするものもあります。

ヘロデ大王は即位前に、マリクス1世と意見を交わした話もあり、マリクス1世は東方のパルティアを重視し、ヘロデ大王と考えが合わなかった話が残っています。

ヘロデ大王は共和制ローマを重視したとされています。

共和制ローマではオクタウィアヌスとアントニウスが対立する様になります。

アントニウスはプトレマイオス朝エジプトのクレオパトラ7世と誼を結び、ナバテア王国とは対立しました。

アントニウスはナバテアの支配権をクレオパトラ7世に明け渡したとも言います。

こうした事情からナバテア王国はオクタウィアヌスと手を組み、プトレマイオス朝エジプトとは対立しました。

オクタウィアヌスはプトレマイオス朝エジプトに宣戦布告し、アントニウスはエジプト側にたち紀元前31年にアクティウムの海戦が勃発しています。

この翌年である紀元前30年に、マリクス1世は世を去ったと考えられています。

オクタウィアヌスはアウグストゥスであり、紀元前27年にローマ帝国が始まりました。

ナバテア王国は勝ち馬に乗ったと言えるでしょう。

プトレマイオス朝エジプトは滅亡しました。

オボダス3世の治世

紀元前30年頃にナバテア王国はオボダス3世が即位しました。

ローマ帝国は紀元前25年に、南アラビアへ遠征を行っています。

ナバテア王国はローマ帝国の遠征に協力しました。

ローマの遠征にナバテア王国では、シュライオスを派遣し先導するなどしています。

ローマ帝国の軍はナバテア王国の協力はありましたが、水不足に苦しみ結局は遠征は失敗に終わっています。

オボダス3世は紀元前9年ごろに亡くなりました。

アレタス4世の治世

ナバテア王国とヘロデ朝の婚姻と対立

オボダス3世が亡くなると、アレタス4世が即位する事になります。

この時代にナバテア王国は、ヘロデ朝ユダヤ王国と政略結婚を行っています。

アレタス4世の娘のファサエリスが、ヘロデ・アンティパスと結婚しました。

ただし、この結婚は上手くいかなかった様であり、ヘロデ・アンティパスがへロディアに夢中になり、ファサエリスがナバテア王国に帰還する事件まで起きています。

こうした事情もあり、ナバテア王国とヘロデ朝ユダヤ王国は敵対する事になります。

ヘロデ朝はローマに援軍要請しており、ローマ帝国のシリア総督のウィテリウスは、ヘロデ朝を支持しました。

ナバテア王国は苦しい立場となりますが、西暦37年にローマ皇帝のティベリウスが亡くなった事で、ナバテア王国は窮地を脱しています。

ナバテア王国の全盛期

アレタス4世の治世にナバテア王国は全盛期を迎えたと考えられています。

セレウコス朝の弱体化につけこみ勢力拡大し、隊商貿易で富を蓄え、都市建設に貢献したわけです。

都市ができた後で、農業が始り、農耕社会への転換が進み東方ではペルシア湾を経由してパルティアと、西方ではフェニキア人の商人に混ざって、エーゲ海のデロス島、ロードス島などと交易を行いました。

イタリアのローマ、フェニキアのシドン、エジプトへ進出する事になります。

ローマ帝国と大きな戦いになる危険性もありましたが、ナバテア王国は全盛期を迎えたと言えるでしょう。

西暦5年の碑文、イタリアのポッツオーリ(ナポリ博物館蔵)には、次の様な文面の確認されています。

「これは。。。ナバテア人の王アレタスの、また、ナバテア人の女王にして彼の妻なるフルドゥの、また彼らの子の、生命のために修復されし聖廟」

ここで登場するナバテア王のアレタスは、時代から考えてアレタス4世で間違いはないでしょう。

マリクス2世の治世

紀元前40年頃に、ナバテア王国ではアレタス4世が亡くなり、マリクス2世が即位しました。

マリクス2世の時代にユダヤ戦争が勃発しており、ナバテアはローマ帝国を支援する為に騎兵5千と歩兵千を派遣しています。

ユダヤ戦争はローマ帝国の勝利で幕を閉じる事になります。

マリクス2世は勝ち馬に乗りナバテア王国は安泰に思うかも知れませんが、この時代からナバテア王国の衰退が顕著になります。

インド洋航路の開拓が進められ、交易路が変わっていく事になります。

ナバテア王国は交易で莫大な富を稼いでいたわけであり、交易路が変わるのは死活問題でもありました。

ナバテア王国は交易路の変更に苦しみ、ナバテア以外のアラブの民族の台頭もあり、力を失っていく事になります。

交易都市としては北のパルミラが栄える様になりました。

ラベル2世の治世

マリクス2世は西暦70年に没し、ラベル2世がナバテア王となりました。

ラベル2世は幼かったのか、母親のシャキラス2世が摂政として立った話があります。

シャキラス2世の摂政は76年まで行われ、その後はガミラスがナバテアの女王になったとも言います。

ガミラス2世に関しては謎が多いのですが、ラベル2世と共同統治を行ったとする説もあります。

102年からはハグルーなる人物が、女王になったと伝わっています。

ただし、この時代になっても、ナバテア王国は不調から抜け出せずにいたのでしょう。

ナバテア王国の滅亡

ラベル2世はローマ帝国と協定を結び、自分がナバテア王の間は、攻めて来ない様にし、自分の死後にナバテア王国をローマ帝国に譲渡する約束をしたともされています。

ただし、ラベル2世にはオボダスという後継者がいたとする説もあります。

ラベル2世は西暦106年に亡くなりますが、約束は本当に実行に移されナバテア王国の領地は、ローマ帝国のものとなりました。

ローマ皇帝のトラヤヌスがナバテア王国を併合し、これに伴いナバテア王国は滅亡しました。

トラヤヌス帝の時代にローマ帝国は最大領域に達し、その中には旧ナバテア王国の領土もあった事になります。

国の滅亡と言えば、絶望的な戦力差の前に立ちはだかる滅びの美学がある場合もありますが、ナバテア王国の場合は激しい戦争などはなく滅んだと考えられています。

その後のナバテア

ナバテア王国は滅亡すると、ローマ帝国の属州であるアラビア・ペトラエアに生まれ変わりました。

ナバテア人たちは恵まれた暮らしを享受し、ペトラ遺跡を調べたところ、この頃の人口は最大で3万人に達したと考えられています。

砂漠のオアシスの都市にあっては、成功した部類に入るはずです。

しかし、ローマ帝国の時代にパルミラが繁栄する様になり、ペトラ周辺は砂漠化が進み放棄される事になります。

ペトラも放棄されますが、特に攻撃を受けた感じもなく、1812年に発見されました。

ナバテア王国の政治と産業

ナバテア王国の首都

ナバテア王国の首都はペトラであり、現在名はワーディー・ムーサーです。

昔のままの状態で発見されたペトラ遺跡は有名でしょう。

旧約聖書のイザヤ書のセラ(岩)がペトラではないかとも考えられています。

シックと呼ばれる岩壁の間の通路を持ち、それを通り抜けると岩山の中に開けた市街地に入る事が出来ます。

ペトラは紅海と死海のほぼ中間に位置し、シナイ半島の脇を通る交通路の中枢でもあります。

ギリシア・ローマ文化と接触、建造物、美術に影響された事も分かっている状態です。

ペトラは難攻不落の拠点というだけではなく、その岩壁には後期ヘレニズム様式の豊かな装飾が施される事になりました。

都市の周囲で農耕

ナバテア王国では天水とオアシスで地中海性の産物(葡萄、無花果)を生産し、輸出していました。

穀物の不足分はエジプト、北アフリカから輸入していたと考えられています。

涸河(ワディ)にダムを建設し、貯水槽を掘り、荒野を開拓し、ペトラの「涸れることのない泉」を利用して、農耕を行った話があります。

ネゲブ砂漠の石灰岩地帯の斜面でナバテア人は山肌に石を積み上げ、人口の水路を作って冬季の雨水を貯水槽に導く施設があった事も分かっています

葡萄塚や円環状積石があり、中央に植えられた葡萄や柑橘類の苗木は積石やその内部の枯草が雨水や露を留め育成しました。

貯水技術にも優れており、砂漠の要所に地下貯水基地を持っていたのも、ナバテア王国が発展した理由にもなっており、交易だけでけではなく軍事にも大きな役割を果たしています。

ネゲブ砂漠の地下には、地下貯水槽の痕跡が見つかっています。

ナバテアでは奴隷は使わず勤勉で経済活動に熱心、共同意識が強かったとあります。

裁判所もあった

ナバテア王国では裁判所もあった事が明らかになっています。

ナバテア人と外国人、外国人同士のもめ事を裁きました。

ペトラはナバテア人の部族社会から国際都市に成長し、ナバテア王国を発展しました。

それと同時に外国人が混ざり一緒に隊商貿易を行いますが、揉め事がかなりあったのは想像に難しくはないでしょう。

様々な訴訟問題があり、それらを裁く為に裁判所を必要としました。

ナバテア王国の主要商品

ナバテア王国では交易が盛んでしたが、主要商品は下記の通りだと伝わっています。

・生糸(中国産??)、絹織物(ダマスクス、ガザ)

ナバテア王国と中国が取引をしていたのかは不明。

パルミラ王国の絹織物には漢字が入っているものもあり、中国と取引が行われていたのは確実でしょう。

・没薬、乳香、香辛料(南アラビア)

・真珠(ペルシア湾)

・ガラス製品と紫清貧(シドン、ティル?)

・ナバテアの特産品、金、銀、胡麻油、アスファルト

縁日の商業

聖所の縁日で定期市が行われていました。

近隣の諸部族が駱駝で商品を持ち込む事になります。

アカバ湾のフォカエ島の聖所などで5年毎の大祭と縁日がなつめやしの森で開催されていました。

ナバテア人も参加していた事が分かっています。

ナバテア王国の歴代君主

・アレタス1世(前166年ー???)

・アレタス2世(前120年ー前96年)

・オボダス1世(前96年ー前85年)

・ラベル1世(前85年ー前84年)

・アレタス3世(前84年ー前62年)

・オボダス2世(前62年ー前59年)

・マリカス1世(前59年ー前30年)

・オボダス3世(前30年ー前9年)

・アレタス4世(前9年ー後40年)

・マリカス2世(後40年ー後70年)

・ラベル2世(後70年ー後106年)

スポンサーリンク

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

宮下悠史

YouTubeでれーしチャンネル(登録者数5万人)を運営しています。 日本史や世界史を問わず、歴史好きです。 歴史には様々な説や人物がいますが、全て網羅したサイトを運営したいと考えております。詳細な運営者情報、KOEI情報、参考文献などはこちらを見る様にしてください。 運営者の詳細