名前 | 阿騖(あぶ) |
性別 | 女性 |
時代 | 後漢末期、三国志 |
生没年 | 不明 |
年表 | 西暦214年 荀攸死後に鍾繇が阿騖の嫁入り先を探す |
阿騖は荀攸の妾だった女性であり、鍾繇が嫁入り先を探した人物でもあります。
因みに、阿騖の名前は本名ではありません。
ここでいう阿騖は「騖ちゃん」とする呼び方であり、親しみを込めて呼ばれていたのでしょう。
尚、似た様な例として呉の魯粛と呂蒙の間に「呉下の阿蒙」の話があります。
呉下の阿蒙の「阿蒙」は「蒙ちゃん」という意味です。
さらに言えば、蜀の劉禅の幼名は阿斗であり、阿騖と同じ「斗ちゃん」だと言われています。
今回はかなりマイナーな人物ですが、荀攸の妾である阿騖を解説します。
荀攸の妾となる
どういう経緯なのかは不明なのですが、荀攸の妾として阿騖なる女性がいた事が分かっています。
正史三国志に方技伝に阿騖の名前があり、実在したのは間違いないのでしょう。
ただし、阿騖の性格や美貌などは不明であり、名前だけが登場する人物でもあります。
荀攸は曹操陣営でも、荀彧に次ぐレベルの軍師と言ってもよく、官渡の戦いや袁氏討伐などで活躍しています。
その荀攸が妾にしたのが阿騖であり、家柄は低かったのかも知れませんが、どこか光るものがあったのかも知れません。
朱建平の予言
ある時に、荀攸と鍾繇が人相見として有名な朱建平に占って貰った事がありました。
この時に朱建平は「年は若いが荀攸様が先に亡くなり、鍾繇様に後事を託される事でしょう。」と述べます。
朱建平の言葉を聞いた鍾繇は、まさか荀攸が亡くなるとは思わずに、次の様にからかって言いました。
「そうなったら、あんたに阿騖を嫁にやる事にしよう」
この時の鍾繇は自分よりも年が若い荀攸が、まさか先に亡くなるとは思わなかったのでしょう。
しかし、荀攸は214年に58歳で生涯を終える事になりました。
朱建平の予言は的中してしまったわけです。
尚、朱建平の予言は曹丕、夏侯威、曹彪らの事も予言しています。
阿騖の嫁探し
荀攸が先に亡くなってしまった事で、鍾繇は約束通り阿騖の嫁入り先を探す事になりました。
鍾繇は朱建平の前では「あんたに阿騖を嫁にやる」と言ったが、朱建平に断れたのか阿騖の嫁入り先を探すのに併走した様な記述があります。
鍾繇は友人にあてた手紙の中で「阿騖を嫁にやって、よい落ち着き場所を見つけてやりたい」と述べた話しも残っています。
この後に、阿騖の嫁入り先が見つかったのかは分かりませんが、鍾繇の義理堅さを現わす逸話にもなっていると思いました。
阿騖に関しては、中々嫁入り先が見つからなかった様な感じもあり、年齢的にかなり年を取っていたのかも知れません。
それか、阿騖の性格がガサツ等の問題もあった可能性も残っている様に思います。
参考文献:ちくま学芸文庫・正史三国志方技伝