エジプト第二中間期 古代エジプト

アヴァリスはエジプト初の異民族王朝の首都

2023年7月29日

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宮下悠史

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名前アヴァリス
場所エジプト
コメントエジプト第15王朝の首都

アヴァリスはエジプトで初の異民族王朝となったエジプト第15王朝の首都です。

エジプト第二中間期の主役となった都市であったとも言えるでしょう。

アヴァリスヒクソスの首都であり、エジプト第15王朝が崩壊すると都市の名前も改名されました。

現在のテル・アル=ダバア遺跡にアヴァリスがあったのではないか?と考えられています。

テル・アル=ダバア遺跡から第14王朝最後のファラオであるネヘシの碑文が見つかっており、第14王朝の後期にはアヴァリスが栄えていた事が分かるはずです。

今回はエジプト第15王朝の首都でもあるアヴァリスを解説します。

エジプト第14王朝の首都

テル・アル=ダバアですが、エジプト中王国時代には、西アジアの人々が定住していた事が分かっています。

中王国時代の文字資料にも「アジア人労働者のキャンプ地」と記載されており、テル・アル=ダバアに西アジアの人々がいた事は確実でしょう。

テル・アル=ダバア遺跡の発掘が進むと、住居の形態も西アジアのものであり、エジプトのものとは違っている事が分かりました。

死者などの埋葬方法もエジプトとは異なっており、住居内に埋葬されていたわけです。

1960年代にオーストリアのマンフレッド・ビータック隊がテル・アル=ダバアを発掘し、そこにはネヘシという名前のファラオの碑文が見つかりました。

ネヘシ王の名前はトリノ王名表にも名前が挙がっており、第14王朝の最後のファラオとなっています。

これからの事から、第14王朝の終盤には首都がアヴァリスに置かれ、ヒクソス王朝アヴァリスを首都にする下地が出来上がっていた事が分かるはずです。

テル・アル=ダバアの発見

エジプト第15王朝の首都であるアヴァリスは、ナイルデルタの中心地から外れ東部に拠ると伝わっています。

ヒクソスの支配地域はシナイ半島北部やパレスチナにあり、ナイルデルタの西部にはエジプト第16王朝がいたとされています。

ナイル渓谷の上エジプトは貢納はさせていましたが、支配地域ではなく、地理的な問題から第15王朝の首都はデルタ東部に位置するアヴァリスが最適だったのでしょう。

※ここからの記述は古代エジプト全史・河合望さんの著書・137頁を元にして書きます

アル=ダバア遺跡には古代のペルシウム支流があり、大きな湖に一部を囲まれ自然の丘陵上の2キロほどを占めていた事も分かりました。

エジプト新王国時代にはラメセス2世が建設した首都・ぺルラメスが広がっています。

テル・アル=ダバアは青銅器時代の大規模な集落における居住形態の変化を通時的にめぐる事の出来るエジプトでは稀な遺跡だと、古代エジプト全史には記載されていました。

1941年にエジプト人のエジプト学者・ラビブ・ハバシュが初めて、この遺跡をアヴァリスと同定し、1966年からはオーストリア隊が発掘調査を継続しています。

アヴァリスの歴史

アヴァリスの調査が進むと、エジプト第一中間期の最初にアヴァリスに集落が形成された事が分かりました。

この当時はアヴァリスの名は使われていなかったとも考えられますが、便宜上としてアヴァリスの名を記載して行きます。

第一中間期の始めという事は、エジプト第7王朝の頃より、アヴァリスの付近に人が住むようになったという事でしょう。

第一中間期は70日で70日のファラオが誕生したなどの記述もあり、大混乱の時代となりますが、この様な時期にどの様にしてアヴァリスに人が住むようになったのかは不明です。

ただし、初期のアヴァリスには異民族はおらず、エジプト人が住んでいただけだったのでしょう。

第一中間期は混乱の時代であり、食料を求めてアヴァリスに人が訪れた様にも感じています。

エジプト中王国時代は官僚制度が整備された時代でもありますが、アメンエムハト1世がアヴァリスを王家の直轄地とし、神殿を造営したとあります。

アメンエムハト1世は中央集権化を進め地方の権力を削いだ時代の王でもあり、こうした時代背景と共にアヴァリスも王家の直轄地にしてしまったのでしょう。

第13王朝の初めには、人口が増加し西アジアの人々の集落が出来上がる事になります。

この頃にシリア様式の家屋や集落内の埋葬方法、武器を伴う埋葬などが見られる様になりました。

第14王朝になると、アヴァリスは遂に首都となりますが、エジプト第14王朝の時代は地方が独立し、残念ながらエジプト全土を支配した王朝ではありません。

第15王朝になるとアヴァリスはヒクソスの首都となり、都市の規模も拡大される事になります。

第15王朝の神殿は西アジア様式のものと、エジプト様式のものがあり、西アジアとエジプトを融合させた場所がアヴァリスだったとも言えそうです。

ヒクソスは自分達のバアル神とエジプトのセト神を習合させるなど、エジプト文化を積極的に取り上げた結果でもあります。

しかし、エジプト第18王朝のイアフメス王によりエジプト第15王朝の首都アヴァリスは陥落しました。

これによりアヴァリスは破壊され、人が住める様な状態では無くなり、後に都市の名も改名される事になります。

エジプト第16王朝のファラオであるトトメス3世の時代に、アヴァリスは再興しエズベト・ヘルミ地区に王宮が建設されたと考えられています。

ヒクソスは記録を殆ど残してはおらず、不明な点が極めて多いと言えるでしょう。

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