エジプト第二中間期 古代エジプト

エジプト第15王朝はエジプトで最初の異民族王朝

2023年7月31日

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宮下悠史

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名前エジプト第15王朝
時代紀元前1663年頃 - 紀元前1555年頃
支配地域エジプト、シナイ半島北部、パレスチナの一部など
首都アヴァリス
別名大ヒクソス

エジプト第15王朝はヒクソスが打ち立てた王朝となります。

エジプト第二中間期の主役とも言える王朝です。

過去にはエジプト第16王朝もヒクソスだとされていましたが、近年ではエジプト第17王朝の前身だとも考えられる様になってきました。

ただし、エジプト第17王朝も43人のヒクソスの王と43人のテーベの王がいた話があり、謎が多い部分でもあります。

エジプト第15王朝はナイルデルタの東部からパレスチナ、シナイ半島北部を領有した王朝であり、エジプト王朝としては初のエジプト国外に領土を持った王朝でもあります。

エジプト第15王朝のファラオは西アジアの人々が建国した王朝であり、エジプトで最初の異民族が支配した王朝でもあります。

エジプト第15王朝は6人の王が108年間統治し、5代のアピペ王の時代に全盛期を迎えたとも言われますが、エジプト第17王朝との戦いとなると形勢不利となります。

最終的には、エジプト第18王朝の始祖であるイアフメスにより、エジプトを追われパレスチナのシャルヘンが陥落した事で完全に滅亡しました。

ヒクソスによるエジプト支配

エジプト第15王朝は異民族であるヒクソスが建てた王朝となります。

ヒクソスは過去には西アジアのセム系の民族が馬、戦車、複合弓を使い、街を焼き払い女・子供を奴隷にするなど、残虐な方法で下エジプトのナイルデルタを制圧したと考えられてきました。

しかし、近年の考古学などの発掘により、ヒクソスは平和裏にエジプト王朝を乗っ取り支配したと考えられる様になってきています。

エジプト第14王朝の後期には、ナイルデルタの東部にあるアヴァリスが首都となっていましたが、エジプト第15王朝も引き続きアヴァリスを首都としました。

エジプト第15王朝はナイルデルタを支配しただけですが、エジプトでは最強の勢力であり、宗主権を行使しエジプト第16王朝第17王朝アビドス王朝から貢納をさせていた様です。

ヒクソスに関しては分かっている事が極端に少ないと言えます。

ヒクソスがどの様にエジプトに入って来たのかに関しては、ヒクソスの記事で書いてありますので、そちらを読むようにしてください。

エジプト第15王朝と第17王朝

エジプト第15王朝は第5代のアピペの時が全盛期だったと言われています。

アピペ王は南の街を支配するセケンエンラー・タア2世に挑発的な手紙を送りつけました。

ここで注意したいのが、アペピ王は王(ファラオ)であり、エジプト第17王朝のセケンエンラー・タア2世は「南の街テーベの君主」でしかないという事です。

この頃のエジプト第17王朝は租税や貢納物をアピペに納めており、立場的には非常に弱かった事が分かります。

第15王朝と第17王朝はイスラムでいう所のカリフとアミールの関係にも近いと感じました。

カバの鳴き声

アペピ王は次の様な手紙をセケンエンラー・タア2世に送りつけました。

テーベのカバの鳴き声が煩く夜も眠れない。

街の東の沼からカバを追い払う様にせよ。

普通に考えれば、アピペ王がいるアヴァリスからセケンエンラー・タア2世がいるテーベまで800キロも離れており、カバの鳴き声が煩くとも絶対に聞こえる事はないでしょう。

カバの話をそのまま聞くと、アピペ王がテーベを下に見て、おちょくっている様にしか見えないはずです。

しかし、テーベではカバは妊娠のタウレト女神として非常に愛される存在でした。

それを考えると、アピペ王の指すカバは、エジプト人の不満分子を指し、エジプト人であるセケンエンラー・タア2世が自らの手で始末しろという事なのでしょう。

他にも、カバは悪の象徴でもあるともされています。

カバは温厚に見えるかも知れませんが、動きは素早く陸上では40キロ、水中では60キロのスピードで動く事が可能であり、アフリカでは年間で500人がカバにより命を落としているとも言われています。

その辺りもカバがエジプトで悪の象徴とされる由縁なのかも知れません。

カバを狩る事はこの世の秩序を保つ事であり、エジプト王にだけ許された神聖な儀式だとも言われています。

第17王朝のセケンエンラー・タア2世がカバ狩りを行えば、自らが正統なファラオだと宣言する事になり、第15王朝との戦争にもなりかねません。

エジプト第15王朝側の挑発とも呼べる手紙をセケンエンラー・タア2世は受け取ると、全面戦争に突入する事になります。

エジプト第15王朝の滅亡

エジプト第15王朝はヌビアのクシュ王国と同盟を結びエジプト第17王朝を挟撃しようとしました。

エジプト第15王朝は遠交近攻の策を行おうとした事になります。

第15王朝からクシュ王国への使者がエジプト第16王朝に捕まったなどの話もありますが、第17王朝は二正面作戦を強いられたようです。

セケンエンラー・タア2世は戦死したとも使って処刑されたとも言われていますが、第15王朝との戦いで命を落としたのでしょう。

しかし、セケンエンラー・タア2世の後継者となった勇敢王カーメスの活躍もあり、エジプト第15王朝は首都のアヴァリスまで追い詰められる事になります。

カーメスがたまたま陣中で亡くなった事で、一時の安楽を得ますが、イアフメス1世が攻めて来ると首都のアヴァリスが陥落しました。

イアフメス1世はエジプト第18王朝の始祖となり、第15王朝の勢力はエジプトで影響力を失いました。

エジプト第15王朝の勢力は、エジプトの外の領土は維持しますが、パレスチナのシャルヘンを落され歴史から姿を消しました。

これにより、ヒクソスの時代は完全に終焉に向かったと言えるでしょう。

エジプト第15王朝は第17王朝を挑発したかと思ったら、早い段階で滅んでしまったとも言えそうです。

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