エジプト第二中間期はエジプトで二度目の混乱の時代だとも言えます。
エジプト第一中間期は、食料不足などもありエジプト国内での混乱のみでおさまっていました。
それに対し、エジプト第二中間期は西アジアからヒクソスと呼ばれる異民族の侵入があり、エジプトに初の異民族王朝が誕生する時代となっています。
古代エジプトの第二中間期の主役はなんといってもヒクソスでしょう。
尚、エジプト第二中間期に関しては分かっている事が極端に少ない時代です。
エジプト中王国時代が終わりエジプト第13王朝、第14王朝も第二中間期に入れる場合もあります。
しかし、当サイトではエジプト第15王朝、第16王朝、第17王朝を第二中間期としました。
因みに、エジプト第二中間期ではアビドス王朝があったとする話もありますが、不明な点が多いと言えます。
エジプト第15王朝
ヒクソスは西アジアからの移民であり、エジプトは異民族の王朝に支配されてしまった事になります。
マネトの記述だとヒクソスは暴虐で残忍、女・子供をさらい悪逆の限りを尽くしナイルデルタを占拠した事になっています。
しかし、近年の研究では、考古学的に否定されており、ヒクソスはエジプトのファラオの傭兵になるなど、平和的にエジプト社会に潜り込み王朝を樹立したと考えられています。
ヒクソスは自分達のバアル神とエジプトのセト神を習合させるなどもしていますし、第15王朝のヒクソス王らもエジプトのファラオと同様の振る舞いをしました。
実際にヒクソスは西アジアのアイデンティティを発揮しつつも、エジプト人との同化を目指したのが実在でしょう。
尚、第二中間期において最大勢力を誇ったのは何といってもエジプト第15王朝であり、大ヒクソスとも呼ばれています。
因みに、エジプト第15王朝の支配領域はシナイ半島の北部やパレスチナまで到達しており、エジプト王朝としては初の国外を領有した王朝でもあります。
エジプト第二中間期が終わり、エジプト新王国時代になると、エジプトでは専守防衛の為かエジプト国外にも領土を持つ様になりました。
エジプトの国外で起きたヒッタイトとのカディシュの戦いなどは有名と言えるでしょう。
エジプト第16王朝
エジプト第16王朝は小ヒクソスとして、ナイルデルタの西部を本拠地として活動したと考えられています。
ナイルデルタの東部には第15王朝が存在し、第16王朝の勢力は小さく最初は服属し、後に反旗を翻したとする話もあります。
第16王朝も西アジアからの移民だった様ではありますが、第15王朝と比べると王統が安定しなかったのか、頻繁に王が変わったかの様な記録があります。
近年ではエジプト第16王朝がテーベの第17王朝の前身だともされる様になってきました。
第16王朝がヒクソスだったとしても、ナイルデルタのどの都市を本拠地としたのかもよく分かっていません。
それらを考慮すると、謎多き王朝だと言えるでしょう。
エジプト第17王朝
エジプト第17王朝はヒクソスの王が43人、テーベの王が43人いたとする王朝です。
これを見るとエジプト第17王朝は半分がヒクソス、半分がエジプト人の王朝という事になってしまいます。
エジプト第17王朝の建国当初の部分は全くの不明であり、どの様にして第17王朝が出来上がったのかもよく分かっていません。
ただし、エジプト第二中間期において重要な役割を果たしたのが、第17王朝でもあり、後にエジプト第15王朝を圧迫する事になります。
優勢だった第15王朝は第17王朝のカーメスが即位した後に弱体化し、形勢が逆転したのでしょう。
ただし、カーメスは第15王朝のアヴァリスまで軍を進めますが、病死してしまいました。
カーメスの弟であるイアフメス1世がエジプト第15王朝をエジプトから駆逐し、天下統一しています。
ただし、イアフメス1世はエジプト第18王朝の始祖に分類されており、エジプト新王国時代の最初のファラオとなります。