
| 名前 | エジプト第10王朝 |
| 別名 | ヘラクレオポリス王朝 |
| 時代 | エジプト文明 |
| コメント | 下エジプトを支配下にするも第11王朝に滅ぼされた。 |
エジプト第10王朝はヘラクレオポリスを本拠地とした王朝です。
エジプト第9王朝とエジプト第10王朝は共にヘラクレオポリス王朝とも呼ばれており、両者は継続した王朝だと考えられています。
ただし、第9王朝と第10王朝がどの様に繋がっていたのかは不明です。
エジプト第10王朝ではケティ3世の時代に大きく勢力を拡げ、下エジプトを支配下に納めました。
ケティ3世は「メリカラー王への教訓」でも有名です。
メリカラー王の時代にエジプト第10王朝は第11王朝に敗れ弱体化しました。
メリカラー王が亡くなると、間もなくエジプト第10王朝は第11王朝により滅亡しています。
エジプト第10王朝の滅亡により、第一中間期は終わり中王国時代に突入する事になります。
名君ケティ3世
第7王朝、第8王朝、第9王朝と混乱の時代が続きますが、エジプト第10王朝に名君が誕生しました。
ケティ3世は名君として名高い人物であり、北上して来たエジプト第11王朝の軍を撃破しています。
戦力的にはエジプト第11王朝のアンテフ2世の方が優勢だったと思われますが、個人の采配力などもありエジプト第10王朝が勝利しました。
この戦いでケティ3世率いるエジプト第10王朝の軍は、上エジプトの10州まで攻め寄せて来たアンテフ2世の第11王朝の軍を撃破したとされています。
ケティ3世はアビドスを占拠するなど、求心力を高めました。
エジプト第一中間期の今までの王朝は混乱を鎮めるだけの求心力を持った人物がいなかったと考えられますが、ここにきてケティ3世が現れたとも言えるでしょう。
ケティ3世はアビドスの北を境界とし、エジプト第11王朝と休戦協定を結ぶ事になります。
南方を安定させたケティ3世はナイルデルタに勢力を拡大させ、レバント地方からの遊牧民を撃破し街を建設しました。
ケティ3世は一代でエジプト第10王朝の全盛期を築き上げ、後継者のメリカラー王には「メリカラー王への教訓」で指導しています。
メリカラー王の教訓ではエジプト第11王朝を滅ぼそうとしてはならず、今あるもので満足する様に伝えました。
エジプト第10王朝の滅亡
メリカラー王の時代にティニスで反テーベ(エジプト第11王朝)への反乱が勃発しました。
これを好機と見たのがエジプト第10王朝のメリカラーであり、エジプト第11王朝との戦いとなります。
しかし、エジプト第10王朝の軍は敗れ形勢は不利に傾き、ヘルモポリスなどの州侯は第11王朝を支持する事になります。
メリカラー王は亡くなりますが、それから間もなく第11王朝のメンチュヘテプ2世は、下エジプトに攻勢を仕掛け勝利しています。
メンチュヘテプの治世21年にエジプトは第11王朝により統一され、エジプト第10王朝は滅亡しました。
エジプト第10王朝の滅亡により、第一中間期は終わりエジプト中王国時代に入る事になります。
エジプト第10王朝のファラオ
メリハトホルーネフェルカラー8世ーワハカラー(ケティ3世)ーメリカラーー名前不明