その他 三国志

女人国と中華思想の産物だった

2024年6月12日

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宮下悠史

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名前女人国
場所ユーラシアの東に浮かぶ島
登場正史三国志魏志東夷伝

女人国は女性しかいない国であり、正史三国志の魏志東夷伝に名前があります。

ただし、東夷伝の記述では、実際に中国の役人が女人国まで行ったわけではなく、地域の老人から聞いた話として掲載されています。

正史三国志の著者である陳寿も、女性しかいない国が存在するというのは変だと感じ、人から聞いたとする話にとどめておいたのでしょう。

実際に中国での女性しかいない国の話は、中華思想と深く関係しているとも考えられているわけです。

尚、日本にも女護島などの話があり、女護島も女性しかいなかった話があります。

御伽草子では女性しかいない女御島に源義経が行った話があります。

ギリシア神話にも女性しかいない国の話があり、女性しかいない国は想像の産物ですが、世界中にあると言えるでしょう。

男女別々起源神話の中には、世界の創生の時には女性しかいなかったなどの話もあります。

正史三国志の女人国

正史三国志の中で女人国の話が出るのは、東夷伝の東沃沮の条であり、毌丘倹が高句麗討伐を行った時の事です。

既にこの時には司馬懿により遼東公孫氏も滅んでおり、魏の毌丘倹が朝鮮半島北部にいる高句麗を攻撃しました。

毌丘倹が率いる魏軍は高句麗軍を打ち破り、高句麗王の位宮は沃沮に逃亡しています。

毌丘倹は連戦連勝であり、位宮は北沃沮にまで逃亡しました。

毌丘倹は配下の王頎に命じて別動隊を指揮させる事になります。

王頎は北沃沮の東方の境界まで辿り着く事になります。

東方の境界はユーラシア大陸の端であり、東は海だった事でしょう。

海を見た王頎は付近にいた老人に、次の様に問いました。

※正史三国志魏志東夷伝より

王頎「この海の東にも人間は住んでいるのだろうか」

老人「昔の話になりますが、この国の者が船で漁をしており、暴風により数十日も流され東方の島に辿り着きました。

その国には人はいましたが、言葉が通じず、その地の風俗では毎年7月に童女を選んで海に沈めています」

童女が海に沈められる理由は不明ですが、当時の風習で考えれば生贄だったのかも知れません。

問題の記述は、次に老人が発した言葉です。

老人「海の中に一つの国があり、女性ばかりで男性がいません」

上記の記述が女人国の記述となり、老人の言葉からははっきりと女性だけで男性がいない国があると述べている事が分かります。

ただし、老人の言葉からは女人国の場所を述べているわけではなく、海の何処に女人国があるのかも不明です。

老人はこの地に伝わっていた伝承などを伝えた可能性もある様には感じています。

老人は女人国の事を語った後に、次の様にも述べています。

老人「一枚の布製の着物が海から流れてきた事があり、着物は普通でしたが、両方の袖は三丈もの長さがありました。

他にも難破船が海岸に辿り着いた事があり、その船にはうなじにもう一つの顔がある人間がいて生け捕りにしています。

この人間は話しかけても言葉が通じず食物も取らずに亡くなってしまいました」

この話は張華の博物誌を陳寿がそのまま引用したとも考えられています。

普通に考えれば衣服の両袖が三丈(約7メートル)あると言うのは、明らかに辺であり、手が異常な程に長い民族がいた事にもなるのかも知れません。

さらに、人間のうなじに顔があるなども普通では考えられず、中華の果ての地には妖異な姿をした者がいる事を現わしている可能性もあります。

うなじの顔と言うのは、入れ墨の可能性もある様に感じました。

この話の最後に「この者たちがいる場所は沃沮の東方の大海の中にいる」で、魏志東沃沮伝は締められています。

女人国や両袖が長い着物、うなじに顔がある人間などは常識では考えられず、真実とは言い難いと感じました。

東夷伝には常識ではありえない事も書かれており、この辺りが魏志倭人伝の記述は信用出来ないとする意見に一役買っていると感じています。

中華思想が女人国を創り出した

(画像:ウィキペディア

女人国の記述ですが、三国志の専門家である渡邊義浩氏は、中華思想と関係があると考えました。

周礼には夏官 職方氏に各地の男女比が書かれています。

地域
河内
河南
河東
揚州
幽州

上記の記述を見れば分かる様に天下の中心とも言える河内では、男性の比率が最も高い事が分かるはずです。

中国の東南部にある揚州では女性の割合が倍以上になり、中国の最北端である幽州では女性が男性の3倍もの数がいる事になっています。

渡邊氏は周礼の記述に目を付けて中華思想では中心から外れるにつれて、女性の比率が高くなるとしたわけです。

女人国の位置はユーラシアの東の海の島である事を考えると、中華のかなり外れた地域だと言えます。

女人国は中華のはずれであり、遂には女性だけの国が誕生してしまった事になるのでしょう。

当然ながら、人間は女性だけでは子孫を残す事が出来ず、女人国は想像上の産物だと言えます。

倭人の一夫多妻

魏志倭人伝の記述を見ると「国の大人は4,5人の妻をもった」とあり、普通に読めば間違いなく一夫多妻制でしょう。

魏志倭人伝の記述を素直に読めば、倭国は一夫多妻制だった事になります。

魏の張政や梯儁は実際に日本に来た記録があり、魏の使者が見たままに報告した可能性もあるはずです。

魏志倭人伝の記述が魏の使者が実際に見て報告したのであれば、古代日本は一夫多妻制になります。

しかし、中華思想に則り記録されたのであれば、日本も中華から外れた地であり、事実に反して一夫多妻制になってしまったのでしょう。

勿論、古代日本であっても権力者は一夫多妻制だったとは思いますが、庶民が一夫多妻制だったのかは謎な部分でもあります。

それでも、弥生時代の九州では戦乱も発生しており、史書には倭国大乱の記述もあります。

倭国大乱の結果として未亡人を無くすために、倭人の一夫多妻制が誕生した可能性もある言えるでしょう。

倭国は司馬懿が公孫氏を滅ぼし朝貢させた国であり、西晋の役人であった陳寿は司馬氏に配慮しながらも、中華思想を盛り込んだ可能性もあるはずです。

倭国は文化的な事も書かれていますが、女性が多いと言うのは中華思想の表れなのかも知れません。

ただし、倭国に女性の比率を多くしても、難升米や都市牛利などは洛陽まで行った記録もあり、倭国を女人国の様に扱う事が出来なかったのかも知れません。

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