名前 | 王垕(おうこう) |
登場 | 三國志演義 |
勢力 | 曹操 |
コメント | 小升の責任を取らされて処刑される |
王垕は三国志演義に登場する架空のキャラです。
王垕と曹操の元になった話が正史三国志の注釈・曹瞞伝に記録されています。
正史三国志だと王垕の名前は登場しません。
しかし、三国演義の著者である羅貫中が曹瞞伝の逸話を採用するにあたって、人物の名前が必要だと考え「王垕」と名付けたのでしょう。
羅貫中がなぜ「王垕」という名前を付けたのかははっきりとしません。
ただし、王垕の「垕」の文字を調べてみると「あつい。丁寧なさま。手あついさま。」などの意味がある様です。
曹操と王垕の逸話を見ると、何となくわかりそうな気もしました。
小さな升を使う
曹操は皇帝を僭称し仲王朝を開いた袁術がいる寿春を攻撃しました。
この時の袁術は外交で孤立しており呂布、孫策、劉備、関羽、張飛に攻撃され、窮地に陥っていたわけです。
袁術は楊大将の進言に従い、自らは淮南に渡り逃亡し李豊、楽就、梁剛、陳紀に寿春の守備を任せています。
曹操は夏侯惇や于禁を先陣とし17万もの大軍を率いていましたが、兵糧が不足してきました。
兵糧が不足すると、食料監督の任峻と部下で事務官の王垕は、曹操の元を訪れ、王垕は次の様に述べています。
王垕「兵糧が不足して来ていますが、どの様に致しましょうか」
曹操は王垕の問いに対して、次の様に答えました。
曹操「配給の時に升を小さくし、急場をしのぐしかあるまい」
曹操は小さな升を使い、兵士の1日当たりの食料を減らす事で、対応しようとしたわけです。
これに対し、王垕は次の様に述べました。
王垕「それだと兵士が不満を述べるのではないでしょうか」
曹操は王垕の話を聞くと「その時は考えがある」と述べ、王垕を引き下がらせました。
王垕の最後
王垕は曹操の命令に従い、小さな升を使って配給を始めました。
曹操は小升を使った後に、陣中の兵士の様子を探らせたわけです。
すると、兵士達は「丞相(曹操)のやり方はあんまりだ」と述べている事が分かりました。
曹操は小升にした事で、兵士達の不満が自分に向けられている事に気が付いたわけです。
曹操は王垕を密かに呼び寄せると、次の様に述べています。
曹操「お前(王垕)の首を借りたい。お前をさらし首として、皆に見せるのだ」
王垕は驚き、次の様に言いした。
王垕「私に罪はありませぬ」
曹操は次の様に答えます。
曹操「お前に罪がない事くらいは、儂も分かっておる。
しかし、お前を処刑せねば兵士達の動揺が治まる事はないであろう。
お前の妻子の面倒は見るから心配するな」
曹操は「王垕の妻子の面倒は自分が見るから死んでくれ」と述べた事になります。
王垕は納得できるはずもなく、曹操に言い返そうとしますが、曹操は太刀取りを用意しており、王垕の首を斬らせたわけです。
曹操は王垕の首を手に入れると、全軍に向かい次の様に述べました。
曹操「王垕が小さな升を使ったのである。軍律により王垕は処刑した」
曹操は王垕に無理やり罪を着せて、兵士らを鎮めようとしたわけです。
曹操の策?は成功し、兵士達の不平不満は治まったとあります。
曹操と王垕の話は「乱世の奸雄」としての、曹操の個性を際立たせる逸話になっていると言えるでしょう。
曹操は「三日のうちに城を落とさねば死刑とする」と宣告し、自ら危険な場所に立ち指揮を行い袁術四天王を破りました。
曹操としてみても、王垕を斬っても食料が増えるわけではなく、兵糧が尽きる前に寿春を陥落させたかったのでしょう。