謝厷は正史三国志の呉書・陸遜伝や潘濬伝に登場する人物です。
孫権が耄碌した時に、呂壱事件が起きますが、謝厷が呂壱に述べた言葉で、丞相の顧雍らは救われる事になります。
ただし、陸遜伝では謝厷は謝淵と共に改革を進言しますが、陸遜に反対された話があります。
謝厷はほぼ無名の人物ではありますが『呉歴』では「謝厷は才気があり弁が立ち、未来に対して見通しを持っていた」と賞賛されています。
正史三国志では呂壱と陸遜の話でしか登場しませんが、隠れた功績なども多かった様に感じました。
今回は呉の孫権に仕えた謝厷を解説します。
尚、謝宏と書かれる場合もある様です。
呂壱と潘濬
呂壱は酷吏ではありましたが、孫権に気に入られ権力を振りかざした話がありました。
「呂壱事件」と言ってもよい程であり、呉では孫権と臣下の間で溝が出来ていたわけです。
呂壱は丞相の顧雍や、左将軍の朱拠などでさえ罪に陥れています。
呂壱は孫権に気に入られていた事で、調子に乗り重臣でさえも容赦なく罰しています。
顧雍や朱拠は軟禁状態となり、呂壱の心一つで死罪になってもおかしくはない状態でした。
この時に、謝厷は黄門侍郎の官位にあり、呂壱に話をしたついでに、次の様に訪ねています。
謝厷「丞相の顧雍はどの様になりますでしょうか」
呂壱は次の様に答えました。
呂壱「顧雍は処分を免れる事はない」
謝厷は続けて、次の様に呂壱に尋ねました。
謝厷「顧雍殿が丞相の位を解任されたとなると、誰が次の丞相になるとお考えでしょうか」
謝厷の言葉に呂壱は答える事が出来ずにいると、謝厷は続けて話をします。
謝厷「顧雍殿が解任された場合は潘太常(潘濬)が、後任の丞相になるのではないでしょうか」
呂壱も「あなたが言われる様に、潘太常が丞相になるであろう」と答えると、謝厷は次の様に述べています。
謝厷「潘太常殿は貴方に対し、常に歯噛みをしていると聞いておられます。
潘太常殿は遠くにいる事で、貴方に対し何も出来ずにいるのです。
今の状態で顧雍殿の後任の丞相として潘太常殿がなれば、明日にでも貴方に対し噛みついて来るのではないでしょうか」
呂壱は潘濬の愚直さを知っており、潘濬の事を恐れて顧雍などを罰しようとはせず、事はうやむやになりました。
謝厷のファインプレーが、顧雍らの命を救ったとも言えるでしょう。
尚、後に呂壱は孫権からの愛情も薄れ孫登、潘濬、陸遜、諸葛瑾らの進言もあり、呂壱は処刑されました。
謝厷の言葉が無ければ、呉はもっと早くボロボロとなり、国家が崩壊していた可能性もあるでしょう。
制度の改革を願う
謝厷と謝淵は、国家が中心となり経済活動を盛んにする為の制度改革を行って欲しいと意見した話があります。
孫権は謝厷らの話を陸遜にすると、陸遜は次の様に述べています。
陸遜「国家の根本は民衆であり、国家の強力さは民の力を後ろ盾にしております。
財貨も民衆によって、生まれているのでございます。
それ故に、民衆が豊かでありながら国が弱い事はありませんし、民がやせ衰えているのに、国家は繁栄した例もございません。
国を統治する者は民の心を得る事が出来れば、国は治まりますし、民の力を得る事が出来なければ、国は乱れるものです。
民に利益を分かつことなく、民衆の力を引き出そうとするのは困難な事でもあります。
だからこそ「詩経」には『民に宜しく人によろしければ、禄を天より授かる』と讃嘆しておられるのです。
万民たちの安寧を計り数年もすれば、国家財政も潤う事でありましょう。
民が豊かになった上で、新しい計画を検討すべきです」
謝厷と謝淵が、どの様な改革案を出したのかは不明ですが、陸遜は改革すべきではないと述べた事になります。
謝厷と謝淵の改革案に反対した言葉から、陸遜は儒教に対する教えが強い事が分かります。
さらに言えば、陸遜は名士で呉の四姓の一つの家であり大豪族でもあります。
国家が改革されてしまえば、豪族たちは利権を手放さなければならなくなる可能性もあり、陸遜は反対した可能性がある様に思います。
尚、謝厷と謝淵の意見に陸遜は反対しますが、孫権がどちらの案を採用したのかは不明です。