趙荘は史実でも秦に敗れていた

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宮下悠史

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名前趙荘(ちょうそう)
生没年生年不明ー紀元前328年?
時代春秋戦国時代
所属
コメント史実でもに敗れていた。
能力値武力:65 指揮力:87 知力:91 幸:薄い 経験値:B
画像キングダム公式ガイドブック英傑列記

趙荘は春秋戦国時代の人物であり、漫画キングダムで有名になった人でもあります。

馬陽の戦いで軍の軍師として参戦し、龐煖に策を与え蒙武を誘き出すなど、王騎を討つのに活躍しました。

最後は騰に討たれてしまいましたが、最後の馬を走らせるシーンはインパクトがあったのではないでしょうか。

趙荘ですが、史実で王騎を討つのに活躍したなどの記録はありませんが、史記や戦国策に趙荘の名前があり実在した人物でもあります。

今回は史実の趙荘がどの様な人物だったのか解説します。

尚、キングダムでは趙荘の部下に斉明がいますが、斉明も実在の人物であり遊説の士として活躍しました。

趙荘と斉明

戦国策の趙策に趙荘に関する記述があります。

戦国策によると、が趙荘に合従をさせ斉を討とうと考えました。

趙の合従の情報をキャッチした斉は、土地の割譲を条件に攻撃の中止を求めました。

趙では「斉が土地を割譲するなら、合従の盟約を結ぶまでもない」と考え、趙荘を取り立てようとしなかったわけです。

ここで動いたのが斉明であり、斉明は趙荘の為に趙王を説得しました。

この趙王が誰なのかははっきりとしませんが、趙の武霊王か恵文王ではないかと考えられています。

斉明の交渉は成功し、趙荘は趙で用いられる事になったわけです。

キングダムでは趙荘の部下に斉明がいますが、原泰久先生は戦国策を読み、趙荘の為に活躍した遊説の士である斉明を部下という設定にしたのでしょう。

趙荘は秦との戦いで大損害を被ったのか

趙荘は史記の蘇秦列伝や戦国策の燕策にも名前が登場しています。

ただし、趙荘自身が登場するわけではなく、縦横家の蘇代が燕の昭王を説得する言葉の中で登場します。

ここで登場する蘇代は蘇秦の弟でもあります。

は燕の昭王を自国に招待しようと考えました。

燕の昭王は大国秦の要請を断わるわけにはいかないと考えたのか、秦に行こうとしますが、これを引き留めようとしたのが蘇代です。

蘇代は燕の昭王に秦が如何に危険な国なのかを述べていますが、次の一文があります。

※ちくま学芸文庫 史記列伝より

魏の竜賈との戦さ、韓の岸門での戦さ、魏の封陵での戦さ、高商での戦さ、趙荘との戦さで、秦が殺した三晋の民は数百万に達し、いま生きている者はみな秦のために殺された者の孤児であります。

上記の文を見ると分かりますが、趙荘の名前が出ている事が分かるはずです。

しかも、蘇代の話の内容からすれば、趙荘は秦との戦いに敗れ大損害を被ったとみるべきでしょう。

戦国策の燕策や史記の蘇秦列伝の記述から、趙荘が秦と戦った事は史実だと考えられますが、どの様な戦いだったのかははっきりとしません。

さらに言えば、燕の昭王は紀元前279年に没しており、キングダムの世界よりも30年以上前に没している人物でもあります。

趙荘の最後

趙荘の史実での最後ですが、鍵となる記述が史記の趙世家にあります。

史記の趙世家の趙の粛侯22年(紀元前328年)に、次の記述があります。

※ちくま学芸文庫 史記世家より

疵が秦と戦って敗れた。秦は疵を河西で殺し、藺・離石をとった。

この記述が先ほどの蘇代が燕の昭王に述べた「趙の趙荘との戦さ」を指すのではないかとも考えられています。

つまり、疵と趙荘は同一人物であり、この説を信じるのであれば、紀元前328年に趙荘はに敗れて戦死した事になります。

紀元前328年は秦の恵文王の時代であり、秦の昭王の父親の時代となり、秦はまだ正確には王を名乗っていない時代の話になってしまいます。

キングダムの世界よりも80年以上までに趙荘は死亡した事になるでしょう。

ただし、最初に話した趙荘と斉明の話では趙王が登場しますが、趙の粛侯の時代にはまだ王を名乗ってはいません。

趙荘が紀元前328年に死亡したのであれば、趙が王を名乗った時代に趙荘が登場するには生き返ってしまった事になるでしょう。

常識的に考えて死亡した者が生き返る事はあり得ず、趙荘は二人いたなどの話になって来てしまうはずです。

史記や戦国策には趙荘の件も含めて問題が山積みしていると言えるでしょう。

ただし、趙荘が秦に敗れた事だけは事実だと考える事が出来ます。

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