
ウァバッラトゥスはオデナトゥスとゼノビアの子で、パルミラ王になった人物です。
父親のオデナトゥスが暗殺された事で、パルミラ王として即位しました。
ウァバッラトゥスの時代にパルミラ王国は勢力を拡大し、西ではエジプトやアナトリア半島の一部にまで勢力を拡げています。
しかし、ローマ帝国のアウレリアヌス帝の親征があり、パルミラは劣勢に立たされパルミラ帝国は崩壊しました。
ウァバッラトゥスの時代にパルミラは急激に勢力を拡げ滅亡していますが、ウァバッラトゥスはまだ子供であり、政治を差配したのは母親のゼノビアです。
ウァバッラトゥスの即位
ウァバッラトゥスはパルミラ王国のオデナトゥスとゼノビアの間に出来た子です。
父親のオデナトゥスの時代にパルミラ王国はササン朝ペルシアの軍を破り、大発展しました。
しかし、オデナトゥスは西暦267年にヘロデスと共に暗殺されており、後継者となったのがウァバッラトゥスです。
ただし、ウァバッラトゥスは10歳にも満たない子供であった事から、母親のゼノビアが政治を行いました。
エジプトを征服
ウァバッラトゥスの時代にローマ帝国はゲルマン民族に悩まされるなど停滞しており、間隙を縫うかの様にパルミラ王国は勢力を拡大させました。
270年頃までには、パルミラ王国の勢力範囲はエジプトにまで及んでいます。
この時点でパルミラ帝国が誕生したとみる事も出来るはずです。
貨幣から分かるローマとの協定
パルミラ王国の支配領域はエジプトに達しましたが、アレクサンドリアでは、ローマ帝国のアウレリアヌスとウァバッラトゥスが向き合った貨幣が造られました。
貨幣にはアウレリアヌスとアテノドロスの名前が刻まれており、アテノドロスがウァバッラトゥスのギリシア名であり、ローマ帝国とパルミラ王国の間で、何らかの協定が結ばれ貨幣になったと考えられています。
尚、ウァバッラトゥスは子供であり、協定の内容を詰めたりしたのは、母親のゼノビアなのでしょう。
ウァバッラトゥスとアウレリアヌスの貨幣の裏には、月桂冠と1年、4年と刻まれており、アウレリアヌスの在位1年目と、ウァバッラトゥスの在位4年目を指していると見られています。
パルミラの独立
ウァバッラトゥスの治世5年目の貨幣も見つかっており、表面はウァバッラトゥスの胸像が描かれ、ギリシア語で「全能者、カエサル、ウァバッラトゥス(アテノドーロス=セバストス)」と描かれています。
アウレリアヌスの名前や姿は貨幣から消えました。
さらに、アンティオキア鋳造の貨幣にもウァバッラトゥスの名前と胸像と共に「インペラトール、カエサル、アウグストゥス」の名が入っていました。
ここで注目したいのは寡兵に「カエサル」の文字が入っている事であり、カエサルはローマ皇帝の使う称号でもあり、パルミラの独立宣言と見られています。
それと同時に過去にアウレリアヌスとの間で結んだ協定も破棄してしまったのでしょう。
勢力拡大と滅亡
ローマ帝国からパルミラ帝国は完全に独立しましたが、この頃から母親で実権を握るゼノビアが前面に出て来るようになります。
ゼノビアの胸像がある貨幣も出現しました。
パルミラ帝国は一時はエジプトやアナトリア半島にまで支配領域を広めますが、アウレリアヌス帝の親征があり、エメサの戦いでパルミラ軍は大敗をしています。
パルミラでは籠城戦が展開されますが、最終的には敗れてウァバッラトゥスはゼノビアと共に捕虜となっています。
ウァバッラトゥスは西暦273年を境に記録が無くなっており、アウレリアヌス帝により処刑されたとも考えられています。
ただし、生存説もあり母親のゼノビアと共に余生を過ごしたとする説もある状態です。