イスラム ウマイヤ朝

ヤズィード2世の時代からレコンキスタが始まった

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宮下悠史

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名前ヤズィード2世
生没年687年ー724年
在位720年ー724年
ウマイヤ朝
コメントレコンキスタが始まった。

ヤズィード2世はウマイヤ朝の第9代のカリフです。

父親は第五代カリフのアブドゥルマリクで、母親はアーティカ・ビント・ヤズィードです。

第6代カリフのワリード1世とは異母兄弟となります。

この時代に北アフリカでベルベル人による大規模な反乱が勃発しました。

ヤズィード2世の時代で注目されるのは、レコンキスタが始まったという事でしょう。

イスラム教国とキリスト教国との間の戦いであるレコンキスタは、700年に渡り続く事になります。

安定しない政権

ヤズィード2世は西暦720年にウマル2世が亡くなった事で即位しました。

ワリード1世の時代は10年程続きましたが、後継者のスレイマンやウマル2世の時代は数年で終わる事になります。

短期政権が続いた事で、スレイマンがビザンツ帝国と戦争を始めたかと思ったら、ウマル2世が突然戦争を止め内政の改革を目指し、ウマル2世の政権が短期間で終わると、ヤズィード2世が元のやり方に戻すなど政局は安定しなかったと言えるでしょう。

ヤズィード2世も人頭税を取り反発を招き、ベルベル人のマワーリーが乱を起こしますが、上手く対処する事が出来ず、要求の大部分を呑んだりしています。

困難な時代にカリフになってしまったのが、ヤズィード2世でもあるのでしょう。

レコンキスタの開始と多文化社会の形成

ヤズィード2世の注目すべき点は、レコンキスタが始まったという事でしょう。

日本語で「国土回復運動」あるいは「再征服」と訳されるレコンキスタは、一般にヤズィード2世の時代である西暦722年から始まったとされています。

初期の勢力図を見ると、イベリア半島の大部分をイスラム勢力が支配し、キリスト教勢力であるアストゥリアス王国は小規模に見えます。

しかし、イスラム側も内部対立や指揮系統の混乱を抱えており、これが長期的な戦いにつながった要因の一つと考えられています。

また、イベリア半島の住民が他の西ヨーロッパ地域の人々と文化的・歴史的に異なる特徴を持つ背景には、長期間にわたる多様な民族・宗教集団の交流が影響したとされています。

イスラム勢力の支配期には、アラブ人、ベルベル人、ユダヤ人、地元のヒスパニア系住民など、多様な人々が共存し、地域社会に影響を与えました。

こうした歴史的経緯が、文化・言語・社会構造に独自の発展をもたらしたと考えられています。

なお、日本ではこの頃、『日本書紀』の編纂が行われていました。

こうした時代に、ヤズィード2世がカリフとなりましたが、約4年後の724年に病死したと伝えられています。

その後、第10代カリフとしてヒシャームが即位しました。

スレイマン、ウマル2世、ヤズィード2世とウマイヤ朝では短期政権が続きますが、ヒシャームの時代は比較的長く続いています。

先代:ウマル2世ヤズィード2世次代:ヒシャーム

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