名前 | 優施(ゆうし) |
所属 | 晋 |
生没年 | 生年不明ー紀元前651年死去 |
コメント | 驪姫の愛人 |
優施は芸人だった話がありますが、晋の献公の夫人であった驪姫と私通していた話があります。
晋では驪姫が自らの子である奚斉を晋君にする為に暗躍しますが、驪姫の行動を助長させたのが優施だと言えるでしょう。
国語などの記述を見ると、驪姫の乱と呼ばれる晋の混乱のキープレイヤーとなっていたのが優施だとも感じます。
尚、驪姫が危険を犯してまで、優施と私通したのは、優施の外見が良かったなどの理由もある様に思いました。
驪姫は野望が大きく権力欲の強い女性であり、覇気はあるとはいえ老人となってしまった晋の献公では満足できなくなり、優施を求めた様にも感じます。
余談ですが、優施は芸人でありながら、奸計を得意とする人物ではありますが、将来への見通しには暗い人物だとも言えそうです。
優施の最後が東周列国志にあり、合わせて解説します。
驪姫に奸計を授ける
優施は晋の献公の夫人である驪姫と私通を行っていました。
驪姫は優施を味方だと信じており、晋の申生、重耳、夷吾の三公子を排除したいと述べます。
しかし、驪姫は三公子は支持する者が多く、どうする事も出来ないと優施に相談したわけです。
優施は驪姫に対し、次の様に述べます。
優施「申生、重耳、夷吾の三公子には、なるべく早く自らの地位が、極点に達したと知らしめるべきです。
人は自分の地位が頂点に達した事を知れば、それ以上の欲を起こす事もないし、欲を出しても失敗に終わるでしょう。」
驪姫は優施の言葉に納得し、三公子の中で、誰を最初のターゲットにするのか尋ねます。
驪姫の言葉に対し、優施は申生だと述べ、次の様に語りました。
優施「太子の申生は清廉で潔白な人物です。
申生は性格も温厚であり、人を害す事が出来る様な人ではありません。
清廉潔白な人物は辱めを受けやすく、人を害する事が出来ない人物は、自分を害してしまうものです。
申生の動きを上手く利用し、辱めればよいでしょう。」
優施は申生の性格を熟知しており、的確な奸計を驪姫に授けました。
しかし、驪姫は申生は温厚であるが故に、上手く行かないのではないか?と危惧したわけです。
これに対し、優施は次の様に述べています。
優施「清廉潔白で恥を知る者でなければ、辱める事は出来ません。
申生を辱める事が出来れば、上手く利用できるはずです。
現在の様子を見るに貴方(驪姫)は、晋の献公に寵愛されていますし、善悪を語るだけで献公は信用する事でしょう。
そうした上で、貴方は表面上は申生と誼を通じ、内では讒言で辱めればよいのです。
申生の様な者は、優れた才能を持っていながら、難を避ける事が出来ません。」
驪姫は優施の言葉に納得し、申生と親しみながら、晋の献公には申生の事を悪く言ったわけです。
驪姫は晋の献公の側近である、梁五と東関嬖五の二人を買収し申生を讒言しています。
さらに、驪姫は晋の献公に意見した事で、晋の献公の子は皆が外に出され、首都の絳には驪姫の子である奚斉と、驪姫の妹の子の卓子だけが残りました。
優施は申生の性格を的確に読み、驪姫は上手く晋の献公と申生や他の公子を離間させたと言えるでしょう。
こうした状況を見て「晋が混乱する」と史蘇が嘆いた話があります。
優施は驪姫にこの後も奸計を授け、驪姫は晋の献公を上手く操り、申生が東山征伐を行った話があります。
尚、申生は狐突や先友を引き連れて東山征伐を行いますが、任務は見事に達成しました。
里克を中立にさせる
晋の献公は驪姫の子である奚斉を後継者にしようと、本気で考える様になります。
しかし、驪姫は奚斉が晋君となった場合に、里克などの大臣が自分に危害を加えぬか心配だったわけです。
驪姫は優施に相談すると、優施は自分は芸人であり、1日で里克の動きを止める事が出来ると述べます。
優施は宴会の席で、盛り上がってきた時に、里克の妻の前で次の様に言いました。
優施「あなた(里克の妻)が私に酒を飲ましてくれるのであれば、私があなたの主人(里克)を安全に主君に仕える方法を伝授してあげましょう。」
ここで優施は里克に近づき、不思議な歌を歌い里克の興味を引いたわけです。
里克は酒宴が終わった後も、優施の言葉が気になり、優施を呼び出して話を聞く事にしました。
ここで、優施は次の様に述べています。
優施「既に晋の献公は驪姫の子である奚斉を世継ぎとして考え、計画は出来上がっています。」
優施の言葉に里克は驚き、自分は申生を害す事も出来ないし、かといって今までと同じように申生と付き合う事も出来ないと述べます。
さらに、里克は優施に対し「自分は中立だ」と宣言しました。
優施は里克に対し、中立であれば生き残る事が出来ると述べて帰る事になります。
優施が上手くやった事で、里克は中立となり、驪姫は奚斉を晋の後継者とするのに、大きく前進したわけです。
尚、里克は丕鄭に会って優施の事を伝えた時に、丕鄭からは「優施の言葉は相手にするべきではなかった。」と窘められた話があります。
優施の最後
物語ではありますが、東周列国志の28回に優施の最後の記述があるので紹介します。
優施が驪姫に策を授けた事で、最終的に申生は自害し、重耳と夷吾は出奔する事になったわけです。
驪姫の子である奚斉が太子に指名され、晋の献公の後継者になります。
優施は驪姫の愛人でもあり、これで全てが上手くいっかたにも見えたわけです。
しかし、驪姫は晋の献公の寵愛だけを頼りにしていた様な人物であり、全てが盤石とは行きませんでした。
晋の献公は荀息に奚斉の事を任せて世を去りますが、晋の献公が亡くなると里克や丕鄭が反旗を翻し、奚斉を殺害するべく動きます。
里克と丕鄭は奚斉の命を狙いますが、この時に優施は奚斉を守ろうとしたわけです。
優施は剣を持ち奚斉を援けようとしますが、優施は殺害されてしまいます。
奚斉も結局殺害されてしまいますが、荀息は驪姫の妹の子である卓子を晋君に立てています。
里克、丕鄭、梁五、荀息、東関嬖五、屠岸夷らの思惑が入り乱れて混乱しますが、最後は里克と丕鄭が乱を鎮めました。
里克と丕鄭は出奔していた重耳を迎え入れようとしますが、重耳に断られた事から夷吾を迎え入れています。
こうした過程の中で、優施の一族は皆殺しにされた話があります。
優施も申生を陥れるのは上手かったですが、浅はかであり遠い将来を見通す事は出来なかったと言えます。
驪姫も処刑されており、愛人の優施と共にあの世に行く事になったわけです。
参考文献:国語、史記、春秋左氏伝、東周列国志