名前 | 奚斉(けいせい) |
生没年 | 紀元前665年ー紀元前651年 |
国 | 晋(春秋) |
コメント | 母親である驪姫の犠牲になった様にしか見えない |
年表 | 紀元前656年 晋の献公と驪姫の間に誕生 |
紀元前651年 里克らにより殺害される |
奚斉(けいせい)は晋の献公に寵愛された驪姫の子です。
驪姫は自らの子である奚斉を晋の君主にする為に、暗躍する事となります。
奚斉は史記、国語、春秋左氏伝などの書物に記述がありますが、奚斉の性格などに関しては分からない事が多いです。
奚斉がどれ位、晋の君主になりたかったのかは不明であり、母親の驪姫のしたたかさと権力欲ばかりがクローズアップされています。
奚斉に関して言えば、母親である驪姫の野望の為に、犠牲になったように思えてなりません。
今回は晋の混乱である驪姫の乱で、最終的に太子となるが殺害されてしまった悲劇の人物である、奚斉の解説をします。
余談ですが、奚斉は短期間ではありますが、晋の君主になったはずですが、諡号もつけられていない状態です。
奚斉の誕生
奚斉の母親は、驪姫であり晋の献公に寵愛された人物です。
驪姫は驪戎の娘ではありますが、晋の献公が驪戎を討伐した時に、驪戎の君主が晋の献公に驪姫と妹と差し出し、和平を結びました。
晋の献公は驪姫に夢中になり、驪姫は奚斉を生みます。
奚斉が活発な子だったのか、大人しく素直で従順な子だったのかは記載がありませんが、晋の献公は驪姫を気に入っていた事もあり、太子の申生を廃し奚斉を後継者にしようと考える様になります。
尚、奚斉の母親である驪姫は、優施なる人物と密通していた話しもあり、品位がある女性とは言えない様に思います。
晋の後継者候補として有利な立場となる
驪姫は私通している優施の策などもあり、晋の献公に取り入り、自分の子である奚斉を晋の君主にしようと画策しました。
驪姫は晋の献公を動かし太子の申生を曲沃に移し、有力公子の重耳と夷吾を蒲と屈に移しています。
晋の献公の他の子も晋の都である絳から、外に出してしまいました。
これにより、晋の献公の子で絳に残ったのは、奚斉と驪姫の妹が生んだ卓子だけとなったわけです。
こうした状態を見た晋の史蘇は、「晋国の乱れの本が出来た。」と憂えた話があります。
晋の献公の子で絳にいるのが、奚斉と卓子だけとなり、奚斉は晋の後継者として圧倒的に優位な立場となります。
晋の武公の奚斉
晋の武公の祭祀を曲沃で行われる事になります。
晋の武公は晋の献公の父親でもあり、晋にとってみれば重要人物の祭祀だとも言えます。
晋の武公の祭祀を行う時に、献公は病気と称し、代理で奚斉を曲沃に参加させた話があります。
晋の献公が本当に病気だったのかは分かりませんが、晋の献公の狙いとしては、奚斉を後継者だとアピールする狙いもあったのでしょう。
尚、この時に太子の申生も晋の武公の祭祀に参加してはおらず、申生配下の猛足は、自らの安泰を願った方がよいと進言しています。
しかし、申生は猛足の言葉よりも、「孝」の精神を遵守する事が大事だと述べた話があります。
申生と猛足の言葉の中で、「晋の献公の愛情が離れている。」という言葉があり、申生も自分よりも奚斉が晋の献公に寵愛されていた事に気が付いていたのでしょう。
太子に立てられる
奚斉がどの様に考えていたのかは不明ですが、驪姫は意地でも奚斉を後継者にしようと考え、申生を罪に陥れようとします。
驪姫は申生に母親の斉姜の祭祀を行う様に命じ、申生が祭祀の肉を贈って来ると、肉の中に毒を混入させたわけです。
驪姫は晋の献公に、申生が献公を毒殺しようとしたと述べ、申生は追い詰められ自害しました。
太子申生が亡くなった事で、奚斉が太子となったわけです。
しかし、晋の献公も奚斉を支持する者は少なく、依然として申生、重耳、夷吾の三公子の人気が国内で高い事を危惧しました。
晋の献公は奚斉を補佐する為に、荀息を宰相に任命しています。
荀息は晋の献公に対し、奚斉を補佐する事を約束しました。
奚斉の最後
晋の献公は驪姫と奚斉の事が気がかりだったはずですが、紀元前651年に没しました。
この時に、奚斉は晋の君主になったはずです。
しかし、晋の大臣である里克は、丕鄭と共に驪姫と奚斉の排除に乗り出します。
里克が丕鄭を味方に誘った時に、里克の言葉の中で、次の様な言葉がありました。
「奚斉に罪はない。」
里克の言葉によれば、奚斉に罪はなく、晋が乱れた原因は驪姫が晋の献公を惑わしたからだと述べています。
それらを考慮すると、晋の大臣達の認識としては、驪姫が諸悪の根源だと認識されていた事になるのでしょう。
しかし、奚斉が君主になってしまえば、母親の驪姫が権力を握る事は目に見えていました。
驪姫の専横を排除する為には、奚斉に罪は無くても、殺害しなければならない相手だったのでしょう。
結局、里克らの手により、奚斉は殺害され、母親の驪姫も処刑される事になったわけです。
尚、奚斉の死後に宰相の荀息は、驪姫の妹の子である卓子を晋君として即位させます。
しかし、里克は卓子も殺害してしまい、荀息は責任を痛感したのか自刃しました。
これにより、驪姫の一族も完全に滅んだと言えるでしょう。
因みに、奚斉は晋の献公の後継者として立ったはずですが、晋君として認められなかったのか諡号すらない状態です。
奚斉の評価
奚斉は、一言で言えば「母親の犠牲になった息子」となるのでしょう。
春秋左氏伝、国語、史記などを読んでも、奚斉がどの様な性格をした人物なのかは、特に記載がありません。
史書に書かれているのは、驪姫の狡猾さと権力に対する欲望の強さだけです。
奚斉本人が、どれ程に晋の君主になろうと思っていたのかも不明となります。
因みに、奚斉の兄である申生は、有能だけではなく孝の精神も持っていた人物であり、驪姫が変な野望を起こさなければ、申生は兄として奚斉を可愛がった様に思います。
それらを考慮すると、奚斉は母親の野望により不幸になってしまった人物とも言えるでしょう。
奚斉は殺害されてしまいますが、里克の言葉にある様に、奚斉に罪はないと感じています。
参考文献:春秋左氏伝、国語、史記