名前 | エジプト第16王朝 |
時代 | 紀元前17世紀~紀元前16世紀頃 |
場所 | エジプト |
首都 | テーベ?? |
コメント | 記述に混乱があると見られ謎が多い |
エジプト第16王朝はエジプト第二中間期の王朝の一つに数えられています。
エジプトの中間期というのは、混乱の時代であり非常に記述が少なくエジプト第16王朝の事も分かっていない部分が多いです。
エジプト第16王朝は異民族のヒクソスがたてた王朝だとも考えられており、小ヒクソスの名でよばれる事もあります。
エジプト第15王朝はヒクソスの王朝だと考えられていますが、エジプト第16王朝は近年では、ヒクソスの王朝ではなくエジプト第17王朝の前身だったのではないか?とする説も出て来ている状態です。
エジプト第15王朝の首都はアヴァリスだとはっきりとしていますが、エジプト第16王朝はナイルデルタの東部にあったとも、上エジプトのテーベにあったともされ、はっきりとしない部分が多々あります。
今回はマネトが記したエジプト史にも登場するエジプト第16王朝の解説をします。
尚、エジプト第16王朝に関しては記述に混乱が見られ、正確な部分は分からない所が多いと言えます。
小ヒクソス
エジプト第16王朝は謎が多い王朝ですが、過去にはナイルデルタの西にある王朝だと考えられてきました。
ナイルデルタの西にエジプト第15王朝があり、東には小ヒクソスこと第16王朝があるという図式です。
マネトの記録にもエジプト第16王朝には32人の牧人の王がいたと記録されており、ヒクソスの王朝ではないか?と考えられてきたわけです。
ただし、エジプト第15王朝の方が勢力が大きく、注目されるのは決まって大ヒクソスこと、第15王朝でした。
今まではエジプト第16王朝はアジア系の民族が打ち立てた王朝だと考えられてきたわけすが、近年では異論も唱えられています。
第17王朝の前身だった??
エウスビウスによると、エジプト第16王朝はテーベの王朝だとする記述があります。
テーベは上エジプトにあり、距離的にナイルデルタとは、かなり離れているわけです。
第16王朝がテーベだとしたら、第15王朝のアヴァリスからは800キロも離れている事になってしまいます。
そこでエジプト第16王朝は西アジアの系統の国ではなく、マネトの第16王朝は15人の王が存在したテーベの王朝だったのではないか?とも考えられる様になりました。
このうちの5人は同時代の資料も見つかっており、事実に近い可能性は十分にある様に思えます。
エジプト第17王朝の首都もまたテーベであり、それを考えるとエジプト第17王朝の前身が第16王朝だったのではないか?ともされているわけです。
ただし、研究者の中にはエジプト第16王朝はナイル渓谷がある上エジプトを中心とする王朝だが、必ずしもテーベを本拠地にしたわけではないと考える人もいます。
マネトが記した第16王朝の32人のファラオの何人かの王は、アビドス王朝の王などが含まれているのではないか?ともされています。
尚、紀元前1627年から紀元前1601年までの在位であったネビリイアウ1世の時代が16王朝の最盛期であり、ヒクソス王朝である第15王朝の圧力により、ジェドメス1世の時代に反旗を翻したとする説もあります。
結局のところ、資料が無さ過ぎて決定打に欠け、どれが正しいのかはイマイチ分からないと言えるでしょう。
第16王朝のファラオとされている人物であっても第14王朝、第15王朝、第17王朝のファラオとされる人物もおり、中には第12王朝時代の人物ではないか?と考えられる人物も混ざっています。
第二中間期は資料が極端に少なく、分からない事が極めて多いです。