キングダム

蛇甘平原の戦いは実在したのか

2025年7月27日

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宮下悠史

YouTubeでれーしチャンネル(登録者数5万人)を運営しています。 日本史や世界史を問わず、歴史好きです。 歴史には様々な説や人物がいますが、全て網羅したサイトを運営したいと考えております。詳細な運営者情報、KOEI情報、参考文献などはこちらを見る様にしてください。 運営者の詳細

名前蛇甘平原の戦い
読み方だかんへいげんのたたかい
登場キングダム
勢力
総大将魏:呉慶 秦:麃公
コメント信の初陣でもあった
画像キングダム公式ガイドブック英傑列紀

蛇甘平原の戦いは、キングダムでの信の初陣でもありました。

は滎陽を攻略する為に出陣しますが、呉慶は滎陽での籠城戦を行わず蛇甘平原に布陣する事になります。

麃公も平地での野戦を選択した事で、蛇甘平原の戦いが勃発しました。

尚、蛇甘平原の戦いは羌瘣の初登場でもあります。

蛇甘平原の戦いの前半の主役は縛虎申と言ってもよく、丘を駆け上がり魏軍副将である宮元を討つ活躍を見せますが、命は尽きました。

後半戦は呉慶と麃公の戦いでもあり、一騎打ちで麃公が勝利し秦軍の勝利が確定しています。

蛇甘平原の戦いが実在したのかですが、蛇甘平原の場所も分からない状態です。

しかし、モデルとなった戦闘は史記に書かれています。

史記の記述や当時の秦と魏の戦力差などから、史実の蛇甘平原の戦いがどの様なものだったのか解説します。

蛇甘平原の戦いは実在したのか

蛇甘平原の戦いが実在したのかですが、キングダムでも紹介されている様に、モデルになった戦いがあった事は明らかです。

漫画キングダムには、次の記述が存在しています。

※キングダム6巻73話より

始皇帝2年(紀元前245年)麃公軍が魏を攻め三万の首級をあげたと「史記」に伝わる。

上記の記述から蛇甘平原の戦いのモデルになった戦いがあった事は明らかでしょう。

ただし、ちくま学芸文庫を見ると、次の様な記述となっています。

※ちくま学芸文庫 史記本紀 始皇帝本紀116頁より

※二年、麃公が兵を率いて巻を攻め、首を斬ること三万であった。

ちくま学芸文庫の史記を見る限りでは、麃公が戦った場所はではなく巻となっていますが、巻は地名のはずであり、原泰久先生は巻は魏の領土だと考えたのでしょう。

キングダムの蛇甘平原の戦いの様なドラマチックな展開だったのかは不明ですが、蛇甘平原の戦いのモデルになった戦闘は存在していたわけです。

蛇甘平原は何処なのか

蛇甘平原の場所が何処になるのかですが、グーグルマップで蛇甘平原と入力し探してみたら、次の様に出ました。

グーグルマップを見る限りでは、蛇甘平原の場所は存在しない事が分かるはずです。

しかし、キングダムにはヒントがあり、滎陽の城の近くだとあり、史記の始皇帝本紀には当時の状況として次の記述が存在します。

※史記より

秦の版図は~東は滎陽まで延び・・・。

上記の記述をみると分かる様に、当時の秦は滎陽の付近まで領有していました。

史記の記述を見ると、麃公が攻撃したのは巻であり、ウィキペディアの麃公のページには、次の記述が存在しています。

ウィキペディアより(外部リンク)

ここで注目したいのが巻であり場所は「現在の江南省平頂山市付近」とあります。

蛇甘平原の場所は分かりませんでしたが、滎陽や崇山は見つかっており、この近辺がの国境であり、戦闘が起きたという事になっているのでしょう。

尚、滎陽は楚漢戦争において項羽劉邦が激しく戦った場所であり、戦略的な重要拠点でもあったのでしょう。

史実の蛇甘平原の戦い

史実で考えれば蛇甘平原なる場所は存在せず、架空の戦いという事になります。

しかし、紀元前245年に巻においてと魏の戦いが起きた事は事実です。

キングダムの蛇甘平原の戦いでは、秦の麃公呉慶を斬り軍15万を退けた話になっています。

現実に考えれば、紀元前245年頃の秦と魏の国力はかなり離れており、秦が魏を圧倒している状態でした。

(画像:YouTube

地図をみれば分かりますが、既には滅亡寸前であり、魏と秦の国力の差は10倍以上も離れていた事でしょう。

キングダムの蛇甘平原の戦いでは、魏と秦の両軍とも15万の軍勢を揃えた事になっていますが、実際には秦軍の方が魏軍よりも10倍の兵力がいた可能性もあると感じました。

これを考えると、麃公は圧倒的な戦力を揃えて魏を攻撃し、巻で戦闘になり三万の敵を斬首した事になるはずです。

しかし、秦軍も魏の抵抗により多くの犠牲を出し、城を落す事が出来なかったとするのが自然ではないでしょうか。

史記を見る限りでは麃公が巻で三万の敵を斬首した記録はありますが、城を抜いたとする記述が存在していません。

尚、巻での戦いが史書における麃公の最後の記述であり、史実では麃公が戦いには勝利するも多くの犠牲を出し過ぎており、将軍を解任された可能性もある様に思います。

他にも、麃公が負傷し亡くなったり、戦場に出れなくなってしまった可能性もあると感じました。

史実で考えれば、圧倒的に記録が少なく巻の戦いや蛇甘平原の戦いは謎が多いと言えそうです。

キングダムの蛇甘平原の戦いの流れ

旧友との再会

キングダムにおける蛇甘平原の流れを簡単に解説します。

蛇甘平原の戦いの前に、信は伍を組む事になりました。

伍は五人一組で敵と戦う最小の単位となります。

信は城戸村での旧友である尾平や尾到に再開し澤圭を伍長とするチームに入りました。

澤圭のチームは信、尾平、尾到、羌瘣で決まりました。

尚、羌瘣のキングダムの初登場は蛇甘平原編で、伍を組むときとなります。

丸城の陥落

今回の軍の目的は、滎陽の陥落にありました。

史記の始皇本紀にも「東は滎陽まで延び~」とする記述があり、当時の秦と魏の国境は滎陽の辺りだった事が分かるはずです。

秦軍は丸城や亜水に入り滎陽の城を攻める予定でした。

丸城の城主が黒剛であり「星眼の黒龍」と呼ばれた猛将です。

信たちは丸城を目指しますが、呉慶は滎陽での籠城を選択せず、丸城を攻撃し黒剛は呆気なく討ち取られました。

呉慶の予期せぬ行動により、信らは亜水に向かう事になります。

尚、呉慶は戦国四君最強とも言える信陵君の食客だった事が明かされており、秦軍を驚かせています。

余談ですが、蛇甘平原の戦いが勃発した紀元前245年の段階では、信陵君はまだ生存しています。

しかし、兄の魏の安釐王に疑われ酒浸りとなり失意の状態でいました。

信陵君は紀元前244年に亡くなっています。

麃公の読み

滎陽の城主である隆太は、呉慶の軍は滎陽の城を守るための援軍だと考えますが、呉慶は滎陽の全軍を指揮下に収め野戦を挑みました。

呉慶は15万もの大軍で、動き出したわけです。

の軍議では呉慶の狙いは亜水の城だとする意見が多く出ましたが、総大将の麃公は別の考えを持っており、呉慶は魏の主力である戦車隊を生かせる平地戦に持ち込みたいだけだと気付いていました。

麃公は呉慶の狙いを知りつつも、平地である蛇甘平原の戦いを選択しました。

キングダムの設定では蛇甘平原の場所は滎陽からは四日、亜水からは三日の距離にある事になっています。

これにより蛇甘平原の戦いが勃発する事になります。

蛇甘平原の戦いで魏軍の呉慶宮元、白亀西らは先に戦場に到着し、丘の上に布陣しました。

魏の戦車隊の猛威

蛇甘平原の戦いでの最初のミッションは、丘の上に布陣した魏軍副将・宮元の首を取る事でした。

縛虎申の命令により信たちの伍も攻撃に入り戦闘が始まる事になります。

の攻撃の前に軍は戦車隊を出すと、形勢は逆転しました。

秦軍の戦車隊の前に多くの犠牲者が出ますが、麃公は軍に待機を命じ兵を動かそうとはしなかったわけです。

秦の歩兵では魏の戦車隊に対抗できず無残にやられていきますが、麃公は騎兵出撃をしようとはしませんでした。

千人将の壁はやきもきした気分になり、縛虎申に宥められるシーンもあります。

信たちは羌瘣の進言もあり戦車隊の攻略法を見つけますが、他の戦場では秦兵の多くが戦車隊の前に蹴散らされ多くの死体を積み上げました。

騎馬隊の出撃

軍有利と見た宮元は本陣の守備兵だけを残し、丘を降りて出撃させました。

麃公の方では信たちの奮戦の情報が入ってきており「何かがある」と判断し、第四軍の騎馬隊に突撃を命じています。

軍の千人将で騎兵を任されている縛虎申は、中央突破を狙い歩兵たちも後に続くように命令しました。

縛虎申の突撃は苛烈であり、魏の大軍をすり抜け宮元がいる丘の手前まで来る事になります。

縛虎申は僅か46人で丘を駆け上り宮元に首を目指しました。

縛虎申の最後

縛虎申らは油断していた丘の兵に対し、奇襲となり丘の頂上を目指しました。

宮元は黄離弦に命じて縛虎申に致命傷を与えています。

しかし、黄離弦は信に討たれ縛虎申は丘の頂上まで辿り着く事になります。

縛虎申は宮元に刺されますが、宮元が近づいてきた事で討ち取る事に成功しました。

縛虎申は宮元を討ち取りはしましたが、既に重傷を負っており、最後を迎えています。

蛇甘平原の戦いでの前半戦でのMVPは何と言っても縛虎申であり、主人公の信も縛虎申から多くの事を学びました。

王騎の登場

宮元が陣取る丘を手にした軍ですが、既に総大将の呉慶が丘を降りて動いていました。

信たちのいる丘の麓には呉慶率いる五万に魏軍で溢れかえり、反対側では秦の壁や尚鹿らが魏軍と戦闘を行っている状態でした。

この状況で王騎が突如として現れ、戦況を眺めるといった状態となります。

王騎は突如として動き出しと共に、信たちがいる丘の上までやってきました。

麃公の突撃

こうした中で麃公は突如として軍を動かし、自らが先頭に立ち呉慶の軍に攻撃を仕掛けました。

麃公は圧倒的な強さを見せますが、軍は麃公の後方の兵を討たせる作戦を行い、軍の兵を減らす作戦に出ます。

これにより麃公は敵陣に孤立する恐れも出てきました。

呉慶は朱鬼麻鬼を呼び麃公を討つべく動く事になります。

信は麃公を援護しようとしますが、壁は魏軍を挟み込むように動き心理戦を仕掛けています。

こうした中で麻鬼は信に討たれ。朱鬼は麃公に討たれました。

麃公と呉慶の一騎打ち

蛇甘平原のクライマックスでは麃公と呉慶の一騎打ちが待っていました。

最初のうちは麃公と呉慶は互角の戦いを見せています。

呉慶は自分はに滅ぼされた「甲」という小国の王族であり生き残りだと告げました。

呉慶の脳裏には「甲」が滅亡した時の光景がありありと刻まれていたわけです。

麃公は「下らん負け犬の感傷」と述べ「将ならば敵軍にどうやって勝つか!!それ以外に心囚われることはない!!」と断言しました。

呉慶は一騎打ちで麃公を討ち取りました。

麃公は呉慶を「ここまで儂を苦戦させた知略と最後に武に走った激情。なかなか見事な大炎であったぞ呉慶」と述べ評価しています。

麃公は呉慶の意地を認めた事になるでしょう。

因みに、キングダム公式ガイドブックでは呉慶の能力値で「意地:100」としており、高く評価しています。

蛇甘平原の戦いの終わり

軍の副将は白亀西がいましたが、王騎に封じ込められ動く事が出来なかったわけです。

魏軍は撤退し、麃公も滎陽の城を落す事が出来ないと判断し、退却しました。

蛇甘平原の戦いは軍の勝利となりますが、本来の目的であった滎陽を陥落させる事は出来なかったわけです。

それでも、蛇甘平原の戦いでは本能型の極みとも言える麃公の圧倒的な強さが光る内容となり、読者に大きなインパクトを与えた事になるでしょう。

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