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晋の平公の時代から晋の公室が弱体化したのか

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宮下悠史

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名前晋の平公
姓・諱姫彪
生没年生年不明ー紀元前532年
在位紀元前558年ー紀元前532年
時代春秋戦国時代
一族父親:悼公 配偶者:少姜(少斉) 子:昭公
コメント晋の平公の時代から公室が弱体化したとされる。

晋の平公は春秋時代のの君主です。

一般的には、晋の平公の時代から、晋の公室は弱体化したと見られています。

晋の平公を見ると、紀元前546年の講和である弭兵の会までは、会盟を主催したり軍を率いるなど精力的に活動しています。

しかし、弭兵の会で戦争が終わると、存在感が途端に薄れていくわけです。

晋の平公は暗君だとされる事も多いのですが、近年の研究では弭兵の会の講和が覇者体制の矛盾を噴出させ、晋の公室の弱体化にも繋がったと考えられる様になっています。

ただし、晋と楚の戦争が無くなってしまった事で、緊張感を保てず、晋の平公は政治的な意欲を失った可能性はある様に感じました。

晋の平公の即位と会盟

晋の悼公が亡くなると、晋の平公は即位する事になります。

春秋左氏伝によると晋の平公は即位すると、叔向を太傅としたとあります。

さらに、張君臣を中軍司馬。祁奚、韓襄、欒盈、士鞅を公族大夫とし、虞丘書を乗馬御に任命しました。

晋の平公は喪服を脱ぎ、祭官を整え曲沃で蒸祭を行っています。

この後に、晋の平公は黄河を下り、溴梁で諸侯を会合を行っています。

晋の平公の主催する溴梁の会に魯の襄公・宋の平公・衛の殤公・鄭の簡公・曹の成公・莒の君・邾の君・薛の君・杞の君・小邾の君が集まりました。

溴梁の会に斉は来ませんでしたが、晋の平公の呼びかけに応じ多くの諸侯が集まったと言えるでしょう。

さらに、晋の平公は温でも会盟を開きますが、ここでトラブルがあり、斉の高厚は斉に逃げ帰りました。

斉との戦いと講和

紀元前555年に晋の平公は魯済で諸侯と会合を行い、斉を攻撃しました。

晋の平公は斉の霊公と平陰で対峙しますが、斉の霊公は軍の多さに恐れをなし、撤退する事になります。

斉の霊公が撤退する様を見て晏嬰が「勇気がない方だ」と述べた話が、史記と春秋左氏伝にあります。

中行偃と士匄(范宣子)が京茲を陥落させ、魏絳と欒盈は邿を攻略しました。

趙武と韓起が盧を攻撃しますが、抜く事は出来ませんでした。

晋と諸侯の軍は斉の臨淄にまで進撃するなど、大戦果を挙げたと言ってもよいでしょう。

諸侯と盟を結ぶと、晋の平公は一足早く晋に戻りました。

晋の六卿も遅れて帰路に着きますが、帰り道で中行偃が病死しました。

紀元前553年に澶淵で盟を結び、斉の荘公・魯の襄公・宋の平公・衛の殤公・鄭の簡公・曹の武公・莒の君・邾の君・滕の君・薛の君・杞の君・小邾の君が参加しています。

斉も晋の同盟に加わり、晋の平公は中原の大部分を掌握していた事になるのでしょう。

晋の平公と叔向

晋の平公は年若くして即位したのか、士氏と欒氏の争いを制御出来ませんでした。

士匄と欒盈の争いとなりますが、晋の平公は正卿であった士匄の肩入れをしました。

欒盈は政争に敗れ出奔しますが、欒氏の一族は族滅に向かいますが、この時に羊舌虎がいた事で、叔向にも禍が降りかかる事になります。

羊舌赤と叔向は逮捕されますが、晋の平公は傍観を決め込みました。

叔向が晋の平公を補佐した事は有名ですが、援けを出さなかった事で晋の平公の人間性を疑問視される場合もあります。

晋の平公の寵臣である楽王鮒が叔向に所に行くも、叔向は断り祁奚が必要だと述べた話があります。

祁奚は都に行くと士匄に面会し、羊舌氏の無罪を主張しました。

士匄は晋の平公に謁見し、羊舌赤と叔向を釈放する様に進言し、叔向らは事なきを得た話があります。

晋の平公は叔向を元の位に戻しました。

欒盈の乱

紀元前551年に晋の平公は諸侯を集めて沙随で会盟を開いていますが、議題は欒盈をどうするかの相談だったわけです。

この時に、欒盈が斉にいた事で、斉がを攻めると考え心配した話があります。

最終的に晋の平公は欒盈を曲沃で破り、欒氏の一族では欒魴だけが宋に出奔し、残りは滅ぼされました。

紀元前549年に欒盈がいなくなった事で、晋の平公は程鄭を下軍の佐としました。

ここで燃明が程鄭の死を予言し、紀元前548年に程鄭が本当に亡くなってしまった話があります。

晋斉戦争再び

紀元前550年に斉が衛に侵攻し、晋にも侵攻しました。

斉は朝歌を占拠するなどしています。

晋の平公は趙勝に反撃を行わせ、魯の叔孫豹が晋を救援しました。

斉の荘公は撤退しますが、帰還途中に莒を攻撃しますが、負傷した話が残っています。

紀元前548年に晋の平公は夷儀で諸侯を招集しました。

集まった諸侯は魯の襄公・宋の平公・衛の殤公・鄭の簡公・曹の武公・莒の君・邾の君・滕の君・薛の君・杞の君・小邾の君となります。

晋の平公は斉に軍を進め朝歌の戦いの報復を行いました。

斉の方では、既に斉の荘公が誅されており、慶封を諸侯の軍に赴かせています。

この時に、斉は晋の平公を始め六卿などに手厚い贈り物をしており、和議が成立しました。

叔向はこれを諸侯の布告しています。

この年に、晋では正卿に趙武が就任し、魯の穆叔は「戦争が止む事になる」と予測しました。

晋弱体化の予測

紀元前547年に叔向と子朱が争う事がありました。

この話を聞いた晋の平公は「晋はきっとよく治まるだろう。私の臣下が争うのは重大な問題だからだ」と述べました。

晋の平公としては、臣下が争う姿を見て、国の為を思って争ったと考えたのでしょう。

しかし、師曠は「晋の公室は弱体化するだろう。臣下が力を使い徳ではなく善悪で争っている。私欲が多く公室はきっと弱体化する」と述べました。

因みに、晏嬰と叔向が話し合い、と斉の公室の弱体化と、六卿と田氏が強くなると予測した逸話も残っています。

叔向が「晋の平公が税を重くし、台池を作り政治を顧みない」としましたが、これは後世の人間の作り話の可能性もあるのではないでしょうか。

さらに、当時は呉の季札などもいましたが、晋の公室が弱体化しが興隆すると予見しました。

季札の話も同様に、創作の可能性があります。

それでも、晋の平公の時代から、晋の公室は弱体化したと考える場合が多いです。

ただし、ここまでの晋の平公を見る限りでは、会盟に参加し軍を率いて戦場に行くなど、暗君としての要素が見られないとも感じました。

弭兵の会と晋覇崩壊への序曲

紀元前547年に晋の平公は澶淵の会を開きました。

晋の平公は趙武を派遣し魯の襄公・宋の向戌・鄭の良霄と会合を行わせています。

紀元前546年に晋の平公は趙武を宋に派遣し、楚の屈建・魯の叔孫豹・蔡の公孫帰生・衛の石悪・陳の孔奐・鄭の良霄・許人・曹人と会合を行わせました。

宋においても開かれ、向戌の働きかけもあり晋と楚の間で講和が成立しました。

弭兵の会により、諸侯はに交互に朝見する事になります。

晋と楚が講和した事で世界に平和が訪れる様に思うかも知れませんが、弭兵の会が晋が崩壊する原因だとも考えられています。

晋を覇者とする諸侯同盟は外敵である楚から晋が守る代わりに、覇者である晋に貢納物を届けるのが役割でした。

しかし、戦争が無くなってしまった事で、諸侯は晋に同盟国から収奪するだけのシステムになってしまったわけです。

直ぐに晋覇が崩壊したわけではありませんが、晋の平公の時代の弭兵の会により、新たな時代に突入したと言えるでしょう。

尚、斉は宋の盟約には参加しませんでしたが、紀元前545年に斉の景公は陳の哀公・蔡の景侯・燕の懿公・杞の文公・胡の君、沈の君、白狄と共に晋に朝見を行いました。

弭兵の会以降は会盟が開かれても、諸侯は君主が自ら参加する事が無くなり、大臣が参加するのが普通になって行きます。

楚の会盟

紀元前538年に楚の霊公が伍挙をに派遣し、鄭の簡公と許の君をに拘留しました。

楚の霊公は会盟を開きたいからと、晋の平公に対し協力要請をしたわけです。

晋の平公は嫌がりますが、女叔斉は自らの徳を修める事を優先し、楚の霊王の要求を受けるべきだと述べました。

晋の平公は「晋には無敵のものが三つあり、国土は険要。馬は豊富。斉・楚には内紛が多い。と指摘し、これなら成功しないはずがない」と応えています。

しかし、女叔斉は引き下がらず、晋の平公は納得し、楚の霊王の要請を許す事にしました。

この時に、鄭の子産が楚の霊王に「晋が許すと思うか」と訪ねられ「宋の会盟が無駄になるから許すはずだ」と述べた話が残っています。

楚で大規模な会盟が行われました。

晋の平公

晋の平公は紀元前532年に世を去りました。

後継者である晋の昭公が立つ事になります。

鄭の簡公は葬儀の為にに向かい黄河まで到達しますが、晋の国人に断られ引き返しました。

鄭では游吉が晋まで行った話があります。

魯の叔孫婼、斉の国弱、宋の華定、衛の北宮喜、鄭の罕虎、許、曹、莒、邾、滕、薛、杞、小邾らが葬儀に参列しました。

先代:悼公平公次代:昭公

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