春秋戦国時代

段規は成皋の重要さを見抜いていた

2026年4月2日

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宮下悠史

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名前段規
生没年不明
主君韓康子
コメント成皋を取る様に進言した。

段規は韓康子に仕えた人物です。

晋陽の戦いの中で、智過は段規を趙葭と共に「主君の心を変える事が出来る人物」として高く評価しました。

智過の言葉からも、段規がで如何に重用されたのかが分かるはずです。

戦国策の韓策に晋陽の戦いの後に、「成皋を取る様に」と進言した話が残っています。

韓では哀侯の時代に鄭を降しますが、成皋は重要拠点となり、鄭を滅ぼすのに重要な拠点となりました。

成皋を取り韓が鄭を滅ぼすきっかけを作った事を考えれば、段規は高く評価してもよいのではないでしょうか。

土地を割譲する様に進言

智伯はの正卿となり勢力は大きく、に土地の割譲を要求しました。

韓康子は断りを入れようとしますが、段規は次の様に諫めています。

※戦国策 趙策より

段規「断ってはいけません。智伯の人柄は利を好み残忍で暴虐です。

土地を要求したのに与えねば、韓と事を起こしにきます。

我が君は智伯に土地をくれてやるべきです。

ここで智伯が土地を得れば調子に乗り、他にも土地を割くように要求するでしょう。

土地を要求された国が要求を聞き入れねば、理由をつけて軍を出します。

韓は土地を取りあえず割譲し、状況の変化を待ち、臨機応変に動くべきです」

段規は智伯に土地を割譲し、他国を攻めたところで、臨機応変に動くべきだと考えた事になります。

韓康子も段規の考えに納得し、智伯に1万戸の邑を割譲しました。

この後に、智伯は魏桓子にも土地の要求をしますが、趙葭の言葉で土地を与える事になります。

智伯は趙襄子にも土地を要求しますが、趙襄子が断りを入れた事で、晋陽の戦いが勃発しました。

これを考えれば、韓康子が段規の言う事を聞かず、智伯の要求を断わっていたら、韓が智伯、の連合軍に攻められていた可能性があるのではないでしょうか。

段規の進言は韓の国を救ったと言えるのかも知れません。

尚、晋陽の戦いは趙襄子の配下の張孟談の誘いで、韓と魏がに寝返り、智伯は敗死しました。

成皋を取る様に進言

戦国策によると晋陽の戦いの後に、智氏の土地を分割する事になりました。

この時に段規は「成皋を取る様に」と進言しています。

成皋を取る意味が韓康子は分からず「石ころばかりで役に立たぬ地」と述べました。

ここで段規は成皋を取れば地の利を得る事が可能であり、鄭を取る事が出来るとと進言しています。

韓康子は段規の言葉に納得し、成皋を取りました。

韓康子の時代に鄭を取る事が出来ませんでしたが、成皋はが鄭を得るための重要拠点となっています。

韓の哀侯の時代に韓は鄭を滅ぼすに至りました。

項羽劉邦も成皋の地で激戦を繰り返しており、地政学的にも重要な地域だった事は間違いないでしょう。

戦国時代から成皋の重要さを見抜いていた段規は、優れた先見性を持っていたと言えます。

尚、段規が韓康子に成皋を取る様に進言した話が、戦国策の韓策の最初の話となっています。

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