エジプト新王国 古代エジプト

トトメス4世はスフィンクスを掘り起こしファラオになった

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宮下悠史

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名前トトメス4世
時代エジプト文明
王朝エジプト第18王朝
一族父:アメンホテプ2世 母:ティア 子:アメンホテプ3世
コメントスフィンクスを掘り出してファラオになった

トトメス4世はエジプト第18王朝のファラオです。

この頃はエジプト新王国時代になりますが、エジプトの国力は強かったと言えます。

しかし、トトメス4世は夢に出たスフィンクスのお告げによりファラオになっており、神官勢力の力を弱める目的があったとも考えられています。

トトメス4世の時代にミタンニ王国と正式に同盟を結んでおり、共にヒッタイトと戦う時代になりました。

後継者争いとトトメス4世の正統性

アメンホテプ2世がまだ健在だった頃、若きトトメス4世はスフィンクスのそばで眠りについたと伝えられています。

すると夢の中に、スフィンクスの姿をした太陽神ラー・ホルアクティが現れました。

神はトトメス4世に向かって、「私の体を砂から掘り出してくれたなら、お前をファラオにしてやろう」と告げます。

当時、スフィンクスは砂に埋もれつつあり、神の言葉は「スフィンクスを救え」という命令でもありました。

トトメス4世が目覚めて砂を取り除くと、やがて本当にファラオの座についたという逸話が残されています。

アメンホテプ2世は在位中に後継者を指名しないまま亡くなりました。

彼には正妻との間に子どもがいなかったとされています。

さらに、神官勢力を抑えたいという思いから、アメン神と関わりの深い女性の子を後継者にしたくなかったのではないかとも考えられています。

そのため、アメンホテプ2世の死後には後継者争いが起こり、最終的に勝ち残ったのがトトメス4世でした。

トトメス4世の母親はティアという女性とされていますが、ティアはアメンホテプ2世の正妃ではなかったようです。

もし正妃であれば、トトメス4世はスフィンクスに頼らずとも自然に王位に就けたはずであり、トトメス4世自身も正統な継承者ではなかったと考えられています。

実際、スフィンクスの近くからはトトメス4世の兄弟が奉納した碑板が見つかっていますが、その名前や像が削り取られていました。

これは兄弟間で王位をめぐる争いがあった可能性を示しており、トトメス4世が神の後押しを強調した理由にもつながっていると考えられます。

太陽神との結びつきと宗教勢力の均衡

トトメス4世は、スフィンクスの足元に「夢の碑文」を建て、自分がファラオになることを太陽神ラー・ホルアクティから約束されたと記しました。

これは、王位継承に正統性を与えるための重要な宣言でした。

しかし、アメン神官団にとっては問題でした。

彼らは「ハトシェプスト女王トトメス3世は、テーベのアメン神によって選ばれたファラオである」という立場をとっていたため、太陽神を根拠にしたトトメス4世の主張は、自分たちの権威を揺るがすものだったのです。

もともとトトメス4世はアメン神との結びつきが強くなく、そこからさらに太陽神ラー・ホルアクティや、ヘリオポリスのラー神官団との関係を深めていきました。

アメン神官団は、これが自分たちの勢力を脅かす可能性があると考え、警戒を強めたとされています。

とはいえ、トトメス4世の在位期間は10年ほどと短く、大規模な宗教改革が起こることもなく、アメン神官団と正面衝突する事態には至りませんでした。

それでも、王権と神官勢力の間に後の時代へとつながる「火種」がすでに存在していたことは確かだと考えられています。

ミタンニとの同盟

アメンホテプ4世の治世後半になると、アナトリア半島ではヒッタイトが勢力を拡大していました。

かつてトトメス3世の時代にエジプトの宿敵だったミタンニ王国は、ヒッタイトの圧迫を受け、次第にエジプト新王国と手を結ぶようになります。

トトメス4世はミタンニ王アルタタマの娘を妻に迎え、婚姻を通じた同盟関係を築きました。

これ以降、ミタンニ王国がエジプト第18王朝に王女を嫁がせることは慣例となり、両国の関係は安定していきます。

こうした外交関係の変化により、ヒッタイト・ミタンニ・エジプトといった大国の勢力が均衡したことで、シリアやパレスチナの情勢も比較的安定したと考えられています。

一方で、ミタンニ王国はエジプトの援助がなければヒッタイトと戦えないほど追い詰められており、エジプトとの同盟は生き残りのために不可欠でした。

この時代にはメソポタミアカッシート王国なども存在していましたが、特に強力だったのはヒッタイトとエジプト新王国の二大勢力でした。

両者の動きが、当時の西アジア情勢を大きく左右していたと言えます。

トトメス4世の最後

トトメス4世は王家の谷に自らの墓を造営しましたが、トトメス3世アメンホテプ2世の墓と比べると完成度が低いとされています。

ただし、これはエジプト第18王朝が弱体化したためではなく、トトメス4世の治世がわずか10年ほどと短かったため、工事が十分に進まなかったというのが実情だと考えられています。

トトメス4世のミイラは、アメンホテプ2世ら他の王たちのミイラとともに後世にまとめて発見されました。

一緒に発見されたミイラは下記の通りです。

アメンホテプ2世アメンホテプ3世メルエンプタハラムセス4世
ラムセス6世セティ2世サプタハトトメス4世
男性ミイラ3体女性ミイラ3体

トトメス4世が亡くなると、王位はアメンホテプ3世へと引き継がれます。

先代:アメンホテプ2世トトメス4世次代:アメンホテプ3世

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