
| 名前 | センウセレト1世 |
| 時代 | エジプト中王国 |
| 王朝 | エジプト第12王朝 |
| 一族 | 父:アメンエムハト1世 母:ネフェルイタチェネン |
| 配偶者:ネフェル3世 子:アメンエムハト2世 | |
| コメント | 文学が盛んになった。 |
センウセレト1世はエジプト第12王朝の二代目ファラオであり、エジプト中王国時代の君主の一人です。
父親のアメンエムハト1世が暗殺されると、センウセレト1世がファラオとなりました。
センウセレト1世は外征を行っていた事で、父親暗殺の難を逃れたとされています。
ヌビア遠征を行うなど精力的に活動しました。
尚、センウセレト1世の時代は文学が盛んになった時代であり、シヌヘの物語は人気だった様です。
シヌヘの物語は当時のエジプト人の価値観を現わされているとも考えられており、注目されています。
センウセレト1世の治世
センウセレト1世は単独王となると対外政策に力を注ぐ事になります。
センウセレト1世は治世の10年間に最初のヌビア遠征を行いました。
その8年後には第2カタラクトを超えて進軍し、ブーヘンという地にエジプト領の南の国境線を引いています。
さらに、遠征で得た土地を守るためにセムナやブーヘンなどに要塞を建設し、交易を守る守備隊を常駐させました。
センウセレト1世は商人たちの交易の安全を確保する為に遠征したと考えられます。
第二カタラクトの南までヌビアを手中に収めたセンウセレト1世は、埋蔵されている黄金を採掘するだけではなく、アメジスト、トルコ石、銅なども得ています。
さらに、センウセレト1世は遊牧民を防ぐ要塞郡である、父親が築いた「支配者の壁」を維持し、シリアとの交易商人も守っています。
北シリアのウガリトからはセンウセレト1世の名が入った遺物が出土しており、シリアとの交流が活発だった事が分かっています。
センウセレト1世はアメンエムハト1世と同様に多くの建築事業を行い、北はタニスから南は下ヌビアまでエジプト各地に造営されました。
テーベにはカルナク大神殿を建設し、方解石製の美しい建造物(キオスク)も造りました。
キオスクはセンウセレト1世の治世31年目にセド祭を記念して造営されたとされています。
また、センウセレト1世はピラミッドもリシュトに建設しています。
シヌヘの物語
この時代は文学が盛んに制作された時代でもあり、特にエジプト人に人気だったのが『シヌヘの物語』というものです。
アメンエムハト1世が暗殺された後、廷臣のシヌヘはセンウセレト1世の兄弟が王位簒奪を企てている事を知ると、恐れて逃亡してしまったとされています。
シヌヘはアジアへ逃れ、ベドウィンに保護されて族長にも気に入られ、大きな成功を収めて富と名誉を手にしました。
しかし、老齢に達したシヌヘは次第に故郷エジプトへの帰還を望むようになりました。
やがてセンウセレト1世から帰国を命じられ、王の使者とともにエジプトへ戻ることになります。
帰国したシヌヘは再び廷臣としての地位を与えられ、生涯を終えました。
物語は、彼の埋葬準備が進められる場面で締めくくられています。
古代エジプト人は異国で死ぬことを強く忌み嫌ったと考えられており、この結末はその価値観をよく反映しています。
また、この物語はセンウセレト1世の寛大さや度量の広さを示すために作られたのではないかとも言われているようです。
ここまでのエジプトの歴史を見ると、まだ異民族に完全に征服された経験がなかったことが分かります。
メソポタミアでは、シュメール人をはじめアッカド人やアムル人など、支配民族が次々と入れ替わりました。
一方、エジプトではそのような大規模な民族交代は起こらず、比較的安定した社会が続いたと考えられています。
戦乱が絶えなかったメソポタミアでは、「今この瞬間が最も重要」という現世的な観念が強く、これが文学にも反映されていました。
『ギルガメッシュ叙事詩』が不老不死の薬を求める冒険として描かれるのも、人生は一度きりであり、外敵に襲われれば突然終わってしまうという世界観が背景にあるとされています。
これに対しエジプトでは、ナイル川の氾濫によって土地が毎年よみがえることから、人間も死後に復活できるという考えが強く根づいていました。
ミイラの制作や、ナイル河畔に埋葬されれば再生できると信じた人々の姿にも、その価値観が表れていると言えます。
そのため、人生が一度きりであるという前提に立つ『ギルガメッシュ叙事詩』はエジプトでは受け入れられにくく、代わりに『シヌヘの物語』のような、帰還と再生をテーマとする物語が好まれたと考えられています。
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