
| 名前 | リムシン2世 |
| 生没年 | 不明 |
| 時代 | イシン・ラルサ時代 |
| コメント | 最後のラルサ王とも考えられている。 |
リムシン2世はラルサ滅亡後にメソポタミア南部で反乱を起こした人物です。
バビロン第一王朝のハンムラビは既に亡くなっており、サムスイルナの時代になっていました。
リムシン2世の勢力は瞬く間に拡大し、一時はメソポタミア南部に覇を唱えています。
メソポタミア南部の人々は、バビロンに対する不満もありラルサ王朝とも繋がっているリムシン2世を支持したのでしょう。
しかし、リムシン2世の反乱は1年半ほどで幕を閉じ滅亡しました。
リムシン2世の乱の終焉を以てラルサ王朝は完全に滅亡したと言えそうです。
尚、ラルサ王朝の最後の王であるリムシンの甥がリムシン2世だとも考えられています。
リムシン2世の反乱と時代の終焉
ラルサ王朝はリムシンが亡くなりハンムラビにより征服されました。
しかし、ラルサ王朝の歴史は、ハンムラビによる征服だけで単純に幕を閉じたわけではありません。
リムシンの一族のリムシン2世が生き残っていたわけです。
ラルサの滅亡から22年後、バビロン第一王朝の支配に対して、南部シュメールの地で歴史を揺るがす大反乱が発生します。
突如として歴史の表舞台に現れ、「私は正当なるラルサの王、リムシンである」と自称して挙兵した、歴史学において「リムシン2世」と呼ばれる人物の台頭です。
年代的な計算(在位60年のさらに22年後)から、彼が本物のリムシン王とは別人(偽物)であることは確実視されていますが、単なる「怪しい人物の無謀な反乱という」個人的な感想で片づけるのは早計です。
リムシンの興隆と滅亡
わざわざかつての覇王「リムシン」の権威を騙ったという事実こそが、当時の南メソポタミアの領民や諸侯の間で、「バビロンによる中央集権的な圧政から脱却し、かつてのラルサの繁栄とシュメールの正統性を取り戻したい」という、強力な復興への政治的思想が渦巻いていたことの動かぬ証拠なのです。
このシュメールの悲願を背負ったリムシン2世はまたたく間に支持を取り込み、約1年半南メソポタミアを事実上独立統治することに成功しました。
ここまでのリムシン2世の手腕は見事という他ないでしょう。
しかし、バビロン第一王朝のハンムラビの跡を継いだ新王サムスイルナは、この巨大な反乱に対して徹底的な軍事鎮圧(平定)を敢行します。
激しい戦いの末、リムシン2世の軍勢は打ち破られ、ここにおいてラルサ王朝、そしてウル第三王朝の滅亡から200年近くにわたってメソポタミア南部を揺るがし続けた「イシン・ラルサ時代」の政治的抵抗は、名実ともに完全に終焉を迎えることとなりました。
ただし、リムシン2世の反乱の規模も大きくサムスイルナは次々に起こる反乱に悩まされ、バビロン第一王朝は勢力を縮小していく事になります。