
| 名前 | リムシン |
| 生没年 | 生年不明ー1763年 |
| 時代 | イシン・ラルサ時代 |
| 一族 | 父:クドゥル・マブク 兄:ワラドシン |
| 国 | ラルサ王朝 |
| 年表 | 紀元前1794年 イシン第一王朝を滅ぼす |
| コメント | イシンは滅ぼしたが国は滅亡した。 |
リムシンはラルサ王であり、名前の意味は「シン神の贈物」です。
宿敵であったイシン第一王朝を滅ぼしました。
しかし、それ以後は遠征を行わなくなり、内政だけをしていたのか沈黙状態となります。
メソポタミアの世界ではエラムとバビロン第一王朝、マリ王国、ヤムハド王国、エシュヌンナ王国などの一大決戦もありましたが、リムシンは参戦しませんでした。
戦いが終わった後に、バビロン第一王朝がラルサ王朝に攻撃を仕掛けると、リムシンは敗れ最後を迎えています。
ラルサ王朝の悲願でもあったイシン第一王朝を滅ぼす目的は達成しましたが、滅亡も経験した王となっています。
リムシンによる南部統一
ワラドシン王の崩御後、その強固な軍事基盤を引き継いだのが、弟のリムシンです。
そして紀元前1794年、イシン・ラルサ時代に決定的な終止符を打つ歴史的大事件が発生します。
リムシン王は国力を結集して総攻撃を仕掛け、200年以上にわたって南部の覇権を争い続けて来た最大の宿敵、イシン第一王朝を完全に滅亡へと追い込んだのです。
ついにラルサ王朝は、シュメールとアッカドの全土(メソポタミア南部)を自らの手で統一するという、国家の悲願を成し遂げました。
治世30年の年名は「真の羊飼いのリムシンがアン、エンリル、エンキの強い武器によりイシンを占領した。住民を保護し王としての名を永遠にした年」となっています。
長期にわたる大戦争を制したリムシン王は、即座に国内の抜本的な「社会・経済の改革(内政)」へと乗り出します。
彼は戦争によって肥大化していた大商人の富や、神殿領の一部を没収して王の領地(直轄地)へと組み替え、これを困窮していた一般農民へ貸し与える政策を実施したのです。
農民に貸し与えた土地からは年貢を直接徴収し、ラルサの国力を底上げしようとしました。
ただし、イシン第一王朝を征服した時点でリムシンが政治への情熱を失ってしまった説もあります。
リムシンの最後
リムシンは治世30年目(紀元前1794年)にイシン第一王朝を滅ぼしました。
メソポタミア南部ではシュメール人の時代から、出来事を年名にするのが普通だったわけです。
リムシンの治世31年目は「イシンを征服してから2年目」、32年目は「イシンを征服してから3年目」となっており、これが続く事になります。
イシン第一王朝を征服してからのリムシンは政治に関しての情熱を失ってしまったのではないかとも考えられている状態です。
リムシンの治世は60にも到達し、エラム人とバビロン第一王朝、マリ王国、ヤムハド王国が対立した時も、どちらにも加勢しませんでした。
バビロン第一王朝のハンムラビはエラム人に勝利すると、マリ王国と共にラルサに攻撃して来たわけです。
ラルサは敗れリムシンは亡くなり、ラルサ王朝は滅亡しました。
20年以上過ぎた後に、リムシンなる人物が南メソポタミアで反乱を起こした話がありますが、リムシンと同名のリムシン2世だと考えられています。
リムシン2世の反乱も結局は失敗しています。
| 先代:ワラドシン | リムシン | 次代:リムシン2世 |