
リピトイシュタル法典は、イシン第一王朝の五代目のリピトイシュタルが制定した法典です。
当時のイシン第一王朝はラルサ王朝の勢力が強くなったりしており、行き詰まりを見せておりこうした中で誕生したのがリピトイシュタル法典です。
現在のところウル第三王朝のウルナンム法典に次ぐ、2番目に古い法典であり、エシュヌンナ法典やハンムラビ法典よりも古い事が分かっています。
ただし、リピトイシュタル法典は制定はされましたが、裁判で使った事実が見つからず、施行されなかったとも考えられています。
リピトイシュタル法典が制定された背景
第5代君主としてリピトイシュタルが即位した頃、これまで全盛期を誇っていたイシン第一王朝の国内には、深刻な「行き詰まり(停滞)」の影が忍び寄っていました。
周辺のアムル人部族のさらなる流入や、台頭するライバル・ラルサ王朝による交易ルートの圧迫などにより、イシンの中央経済は徐々に困窮し、国内では借金を返せず「債務奴隷」に転落する困窮民が急増するという深刻な内部崩壊の危機に直面していたのです。
この未曾有の社会不安を前に、リピトイシュタル王が国家の命運をかけて打ち出した起死回生の統治システムこそが、歴史名高い「リピトイシュタル法典」の制定でした。
この法典は、有名なハンムラビ法典よりもさらに古い時代編纂されたものであり、原文の粘土板こそ失われているものの、後世の精緻な写しによってその前文(プロローグ)の思想が現代に伝えられています。
リピトイシュタル法典には何が書かれているのか
リピトイシュタル法典の前文において、以下のような正義や自由のイデオロギーが大々的に宣伝されています。
「国土の正義を確立するため、アン神とエンリル神はリピトイシュタルを国土の支配者として相応しいと認めた」
「リピトイシュタルはシュメール・アッカドの正義を確立した」
「ニップル、ウル、イシン、シュメール、アッカドの奴隷として置かれた者に自由をもたらした」
わざわざ法律の最前面で「奴隷の解放」や「正義の確立」をこれほど過剰に強調しなければならなかったことこそが、当時のイシン第一王朝の社会が、深刻な格差と奴隷問題によって、暴動寸前まで荒れ果てていたことを示しています。
リピトイシュタル王が行ったのは、人道的な慈善事業などではなく、債務を帳消しにする「徳政令(ミアラム)」を発布することで、民衆の不安を和らげ、崩壊しかけていた中央政権の求心力を繋ぎ止めようとした「世論のコントロール」であったと考えることができます。
リピトイシュタル法典には、現代の法体系にも通じる賃貸借、小作料、果樹園の管理、相続、婚姻、そして奴隷問題まで、極めて具体的な37の法律項目が整然と制定されていました。
リピトイシュタル法典は実施されなかった
リピトイシュタル法典が当時の実社会で実際に実施されていたのか、という点については、大きな謎が残されています。
先代のウルナンム法典と同様に、当時の膨大な粘土板の裁判記録を検証しても、このリピトイシュタル法典の条文を直接引用して判決を下したという具体的な証拠がどこからも発見されていないのです。
しかし、前述した通り、この法典の真の目的は実務的な法律の運用ではなく、国が乱れていた時期に王が「正義の解放者」であることを天下にアピールするためのプロパガンダでした。
したがって、裁判での引用証拠がないという事実こそが、この法典が国内の崩壊を止めるための政治的なパフォーマンスに過ぎなかったことを如実に物語っています。
リピトイシュタル法典が施行されなかった可能性は十分にあるという事です。