
| 名前 | 画文帯神獣鏡 |
| 読み方 | がもんだいしんじゅうきょう |
| コメント | 畿内を中心に分布している |
画文帯神獣鏡は大陸から流入した銅鏡であり、近畿に多く分布されています。
この事から、邪馬台国近畿説においては、卑弥呼が大陸から画文帯神獣鏡を入手し、各地に配ったのではないかとも考えられています。
画文帯神獣鏡は当時の最高級の青銅器であり、極めて価値が高いものとなっている状態です。
銅鏡と言えば、三角縁神獣鏡が有名ですが、価値としては画文帯神獣鏡の方が上だと見る事も出来ます。
画文帯神獣鏡と邪馬台国に関する動画も作成してあり、記事の最下部から視聴する事が出来ます。
画文帯神獣鏡が日本列島に流入
中国では2世紀後半から3世紀に掛けて、神獣鏡が流行した事が分かっています。
こうした状況の中で、画文帯神獣鏡も誕生したと考えられています。
日本にも画文帯神獣鏡が、西暦200年を過ぎた頃に流入しました。
大陸との玄関口と言えば、北部九州を思い浮かべる人が多いかと思いますが、意外にも画文帯神獣鏡は畿内を中心に分布している事が分かっています。
画文帯神獣鏡の中心地が近畿になっている理由ですが、畿内を中心として栄えた勢力が、独自に入手し各地に配布したとも考えられています。
画文帯神獣鏡と邪馬台国
画文帯神獣鏡は弥生時代の終末期において、最もランクが高いとされる青銅器だとされています。
ホケノ山古墳でも、二面の画文帯神獣鏡が発見され話題となりました。
ホケノ山古墳はかなり古い墳墓であり、画文帯神獣鏡が見つかった事で、近畿の政治勢力があり各地に配ったと考えられる様になりました。
近畿にあった政治勢力とは何か?と考えた場合に、邪馬台国だったのではないかとも考えられています。
邪馬台国は魏志倭人伝で有名ですが、卑弥呼が大陸から画文帯神獣鏡を入手し、各地の勢力に配ったのではないかともされています。
三国志の世界では中国の北東の隅に遼東公孫氏が、割拠していました。
遼東公孫氏では帯方郡を設置し、朝鮮半島への進出を目指す事になります。
魏志韓伝には倭が帯方郡に属した話があり、卑弥呼は帯方郡とコンタクトを取り、大陸の画文帯神獣鏡を入手していたとも考えられるわけです。
卑弥呼は宗教改革を行い古代日本の銅鐸や銅矛を廃し、画文帯神獣鏡を配ったともされています。
神獣鏡と倭人
弥生時代の終末期から古墳時代前期に掛けての150年の間に、日本列島には画文帯神獣鏡だけではなく三角縁神獣鏡や斜縁神獣鏡が入ってきました。
同時期の中国では、方格規矩鏡や内行花文鏡、獣首鏡など、神獣鏡以外のものも多くあったわけです。
こうした中で日本では神獣鏡が圧倒的に多く、倭人は神獣鏡を強く好んだのではないかとも考えられています。
邪馬台国の卑弥呼は鬼道を行った話がありますが、外来思想の影響があったとも指摘されています。。
画文帯神獣鏡と三角縁神獣鏡
知名度で言えば画文帯神獣鏡よりも、三角縁神獣鏡の方が知名度は高いのではないでしょうか。
しかし、重要度で言えば、画文帯神獣鏡の方が上だと言えます。
三角縁神獣鏡は量産鏡でもあり、古墳から大量に出土されますが、画文帯神獣鏡は小量が出土されるだけであり、埋葬者の顔に画文帯神獣鏡を被せて葬ったのではないかとも考えられています。
個人的な意見ですが、画文帯神獣鏡が近畿の出土であれば、邪馬台国ではなく、大和王権と直接結びつけてもよいのではないでしょうか。
画文帯神獣鏡の動画
画文帯神獣鏡と邪馬台国の関係に関してのゆっくり解説動画となっています。
この動画は福永伸哉先生の邪馬台国から大和政権へ (大阪大学新世紀セミナー)をベースに作成しました。