名前 | 月支国 |
読み方 | げつしこく |
場所 | 天安、牙山湾の一帯?? |
コメント | 辰王がいたとされる場所 |
月支国は馬韓に存在した国の一つだと考えられています。
ただし、普通の国ではありません。
月支国は正史三国志の東夷伝や中国の史書に記録があります。
馬韓に存在する月支国が辰国であり、辰王が宮廷を置いた場所だともされています。
しかし、辰国自体が謎が多く分からない部分も多いです。
月支国の場所に関してもよく分からない状態ですが、牙山湾の一帯の何処かにあったのではないかと考えられています。
馬韓の東部に月支国があったとする説もあり、はっきりとしない部分でもあります。
月支国には辰王がいたはずですが場所もイマイチはっきりとせず、辰王墓も見つかってはいません。
今回は謎多き辰国の中心地とも言える月支国の解説をします。
尚、日本や中国ではインドの事を月氏や月支と書く場合がありますが、月支国とは関係がないと考えられています。
遊牧民の月氏とも別の民族だと言えるでしょう。
月支国は何処にあったのか
月支国の史書における記述は極めて少ないと言えます。
魏志馬韓伝には馬韓にある五十四の国を紹介した後に、次の記述が存在します。
※正史三国志 魏志馬韓伝より
辰王は月支国に宮廷を設置している。
上記の記述から月支国は朝鮮半島西部の馬韓の地に存在した事が分かるはずです。
馬韓の大きな国は1万余家あると記録されており、月支国も人口が1万余家だったのではないか?とも考えられています。
ただし、月支国の具体的な場所は不明ですが、月支国が1万余家もいるのであれば、馬韓の穀倉地帯の中心地に国があったと考えるべきなのかも知れません。
月支国の場所が天安、牙山湾の一帯だったのではないか?とする説もありますが、正確な部分は不明です。
辰王は辰韓とも繋がりが深いとみられる記述もあり、馬韓の東方にあったのではないか?とも考えられています。
月支国はどの様なものだったのか
月支国ですが、辰王がいた場所であり、元は辰韓だったとも考えられています。
辰韓は秦からの亡命者の国とする説があり、馬韓、弁韓、辰韓からなる三韓を月支国から統治したのが辰王だったのではないかとする説もあります。
月支国から韓の臣智を統治していたのが、辰王だったとも考えられています。
尚、日本の島根県にある日御碕神社に、月支国の軍が攻めて来て、スサノオが暴風をまき散らし、最終的に撤退に追い込んだ伝承があります。
日御碕神社の伝承の話は出雲神話の一つとして考える事も出来ますが、倭国、月氏国は敵対関係にあったのではないか?とも考えられるはずです。
専門家によっては遼東公孫氏と倭国、月支国は深い関係にあったのではないか?と言われていますが、正史の中に書かれているわけではなく不明な部分だと言えるでしょう。
尚、馬韓は伯済国が進展し百済となったとも言われますが、月支国は伯済国に呑み込まれたとか、韓族の反乱により滅亡したなどの説があります。
月支国に関しては謎だらけだと言えるでしょう