汗明はキングダムでは楚の総大将として函谷関の戦いに参加しています。
李牧と春申君が主導した事になっていますが、最大兵力を持つ楚兵15万を指揮するのは汗明だと言う事です。
さらに、汗明は体も大きく楚の大巨人でもあります。
圧倒的な武の力で他国を恐れさせていますし、初戦から連戦連勝で無敗記録も持っていました。
さらには、6将の一人である王齕を撃退した過去もある楚における最強の武人として描かれているのです。
キングダムの函谷関の戦いでは蒙武に敗れて討死しましたが、圧倒的パワーなどを見せてくれています。
しかし、史実の汗明を見てみると意外な事に、戦場に出た記録すらありません。
この人を本当に合従軍の楚の総大将を任せていいのか?と思えるほどの人です。
余談ではありますが、キングダムの汗明の「ドドンドドンドン」は人気があるみたいですね。
キングダムの汗明は虚構?
汗明の史実を見ると、戦場に行った記録すらありません。
もちろん、体が多きかったとか、合従軍を率いた事や合従軍を組織した形跡もないです。
つまり、キングダムの汗明は春申君の弁論が得意な食客を勝手に武人にしてしまったと言えそうです。
それか、私が見た事がない資料があるのかもしれません。
案外、日本では見る事が出来ない中国の資料に書いてあるとかだったら凄いなと感じます。
ちなみに、キングダムで楚軍の総大将として出て来なければ、汗明は検索する人もほぼ皆無のようなマイナーな人だった事でしょうw
余談ですが、臨武君の資料はそれ以上に少ないですし、項翼や白麗に関する記述は史実では皆無です。
項羽は項燕の孫ではあり、項梁が叔父であることは分かっていますが、父親の名前が分からないからです。
汗明の史実
汗明の史実ですが、春申君に面会を申し込んだのですが、面会するのに3カ月掛かっています。
春申君は食客が3000人もいますし、楚の令尹(宰相)もやっていますし、会ってはくれるけど時間が掛かる人だったのでしょう。
春申君は人材を集めるのが好きなわけですから、各地から春申君の所に人が押し寄せていたのだと思われます。
春申君と汗明が会ってみると、最初は春申君は喜びましたが、最後の方は飽きてしまったのか、汗明を帰らせようとします。
汗明はここで帰ってしまっては、これで会ってはくれないと思い下記のやり取りをしたそうです。
汗明「春申君様は堯(古代の聖王)に自分が及ぶと思っていますか?」
春申君「私が堯に及ぶわけがない」
汗明「それでは私は瞬(尭の後を継いだ聖王)に及ぶと思いますか?」
春申君「先生(汗明)こそ、まさしく瞬に匹敵する人だ」
汗明「事実を言いますが、春申君様は尭に遠く及びません。私も残念ながら瞬には遠く及びません。尭が瞬を理解するのに3年は掛かりました。」
汗明「春申君様は、1回の会談で私を理解したと思っているようですが、これだと春申君様と私が堯と瞬よりも遥かに優れている事になりませんか?」
汗明の言い分に春申君は納得したようで、汗明を5日に1回は話を聞く事にしたそうです。
汗明が自薦する
汗明は春申君の食客になったようですが、自分を登用するように自薦しています。
汗明「驥(駿馬の名前)は適齢になったのに、大行山脈で塩車を引く役目をしていました。伯楽(秦の穆公に仕えた馬の達人)が見出したので驥は喜んで天に向かっていきました」
汗明「私も現在、窮していますが、春申君様が私を登用して天に飛び立たせてみる気はありませんか?」
このように汗明は自分を推薦したとされています。
尚、塩車の憾みの意味は、「優秀な人が用いられない事」という事ですが、汗明の言葉から作られた諺です。
しかし、これを最後に汗明の記録は途絶えていますし、春申君は登用しなかった可能性もあります。
ただし、キングダムの汗明のガタイであれば、この言葉を聞いたら思わず登用してしまうかも知れません。
ギャップ萌えの可能性もあるでしょうw
尚、史実の汗明は戦国策と呼ばれる書物に少し記録がある程度の人です。
なぜ汗明は武人になったのか?
キングダムでは汗明が根っからの武人として登場しますが、史実からなぜ武人になったのか考えてみました。
春申君は汗明を登用はしなかったのではないかと考えました。
汗明とは二度と会おうとしなかったのかも知れません。
これを見て汗明は思ったわけです。
口先だけで用いられようとしてもダメなんだ・・・と。
そこで汗明は元々体格が良かったのか分かりませんが、一生懸命筋トレしたりして武人としての体を作り上げたのではないかと思います。
そして、戦場に行ってみると大活躍して、今度は春申君の方から使いたいと言って来たのではないでしょうか?
そうでもしない限り、汗明が楚の総大将になる可能性はないと考えていますw
しかし、史実では私が見た限りでは、汗明は1回も戦場に立った記録がありません。
功績もイマイチ不明です。
余談ですが、趙の李牧の下で活躍している万能の武人である公孫龍も戦場に行った記録がありませんでした。
それでも、キングダム作者である原泰久さんの史実にも登場する汗明を起用してくれるのが嬉しい限りです。