三国志 魏(三国志)

耿紀(こうき)は許都襲撃で失敗し無念の最後となる

2022年4月29日

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宮下悠史

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名前耿紀(こうき) 字:季行
生没年生年不明-218年
時代後漢末期、三国志
勢力曹操
年表218年 許で反乱を起こす
画像三国志(コーエーテクモゲームス

耿紀の字は季行であり、正史三国志の注釈である『三輔決録』『献帝春秋』『傅子』などに記載がある人物です。

耿紀は魏の曹操に仕えた人物ですが金禕韋晃吉本吉邈吉穆らと後漢王朝の最高を願い反旗を翻す事となります。

しかし、耿紀らは力及ばす謀反は失敗に終わり、最後は処刑されてしまいました。

献帝春秋に耿紀の最後に関する逸話があり、耿紀の無念さは大きかったのは確実でしょう。

耿紀は曹操を罵り処刑されています。

今回は金禕らと許都襲撃計画を実行した耿紀を解説します。

耿紀は高い名声を持っていた

三輔決録によれば、耿紀は若い頃から高い名声があったと記録されています。

そうした名声の高さのせいか耿紀は、丞相掾となり曹操からは敬意と高い評価を得ていました。

耿紀は後に侍中に昇進し、少府を代行したとあります。

これらの記述を見ると耿紀は名士の家柄であり、順調にキャリアを積み重ねたと言えそうです。

ただし、あくまで内政官であった事から、功績などは歴史に残りにくい人物でもあったのでしょう。

杜畿を推挙

耿紀と荀彧の屋敷は隣同士だった話があります。

荀彧は曹操からは、前漢の建国者・劉邦の軍師である張良に匹敵する才能を持っていたとも言われる人物です。

荀彧は曹操からは「王佐の才」があるとも評されています。

正史三国志杜畿伝の注釈・傅子によれば、杜畿が荊州から帰郷した時に、許昌に行き耿紀と語りあったとあります。

この時に、耿紀と杜畿は気が合ったのか、一晩中語り合いました。

荀彧は家が隣だった事もあり、耿紀と杜畿の会話内容を聞いていたわけです。

荀彧は杜畿が、優れた人物だと高い評価をしました。

荀彧は朝になると、耿紀の家に使者を派遣し、次の様に述べています。

「国家の役に立つ人物がいるのに、推挙しないのは何の為の位にいるのだろうか」

荀彧の言葉もあり、杜畿は朝廷に推挙される事になりました。

尚、耿紀だけではなく、荀彧と杜畿も気が合ったらしく「杜畿にあった時は古い友人の様だった」とあります。

曹操が後に荀彧に蕭何や耿純の様な人材を推挙して欲しいと言われると、杜畿を推挙し、杜畿は見事に役目を果たした話があります。

耿紀と荀彧を比べてみると、耿紀も優秀な人ではあったのかも知れませんが、荀彧の優秀さや機敏さには及ばなかったのでしょう。

耿紀の最後

耿紀は何を思ったのか218年に金禕、韋晃、吉本、吉邈、吉穆らと結託し、許都を襲撃し魏に対し反旗を翻します。

金禕らは後漢王朝が魏に移り変わっていくのを見て、憤慨した話もあり、耿紀も漢王朝としての臣下としての認識が強かったのでしょう。

耿紀は後漢の献帝が、自ら政治を行うの体制を望んだのかも知れません。

劉備が漢中王になると、関羽は北上を始めますが、耿紀らは許にいる留守番役・王必を殺害し、劉備に内応しようと画策します。

吉邈らが兵を率いて王必を襲撃しますが、王必は肩を負傷しながらも逃亡する事に成功しました。

王必が脱出に成功した理由は、金禕の家の家人が乱を起こしたのが、金禕らだと告げてしまった事が原因だともされています。

王必を取り逃がした事で、謀反の失敗は決定的となったわけです。

乱は王必と厳匡により鎮圧されました。

献帝春秋によれば耿紀は韋晃と共に逮捕されると、次の様に述べています。

耿紀「残念に感じるのは私が自ら謀らず、小童共に計画が狂わされた事だ」

耿紀の言葉からは無念さがにじみ出ているのが分かります。

耿紀がいう「小童」が誰を指すのかは分かりませんが、王必を取り逃がしてしまった吉邈の事を指すのかも知れません。

もしくは反乱の事を告げてしまった金禕の家人を指す可能性もあるでしょう。

耿紀は魏王の名を呼び捨てにして罵った話もあり、最後にかなり曹操を侮辱する様な態度を取った上で処刑された様に感じました。

この時に、韋晃も処刑されていますが、韋晃は地に頭を打ちつけて亡くなった話もあり、耿紀と合わせて韋晃の無念さも大きかった事が分かるはずです。

耿紀の頭の中では、真の主君は献帝一人だと考えていたのかも知れません。

耿紀の能力値

三国志14統率36武力25知力60政治69魅力55

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