
| 名前 | メリトアテン |
| 生没年 | 前1350年頃ー前1330年頃 |
| 時代 | エジプト新王国 |
| 両親 | 父:アクエンアテン、母親:ネフェルティティ |
| 配偶者 | スメンクカーラー? |
| 妹 | メケトアテン、アンケセナーメン |
| ネフェルネフェルウアテン・タシェリト | |
| ネフェルネフェルウラー、セテプエンラー | |
| 異母弟 | ツタンカーメン? |
| コメント | 過激な性格だった可能性がある |
メリトアテンはエジプト第18王朝のアクエンアテンとネフェルティティの間に出来た子で長女だったと伝わっています。
母親のネフェルティティが絶世の美女と考えられており、同じようにメリトアテンも整った顔立ちだった可能性もあるのではないでしょうか。
メリトアテンはスメンクカーラーと結婚したとも、父親のアクエンアテンと結婚したとも考えられています。
アクエンアテンの第二夫人であるキヤの事は嫌っていた様であり、記念碑を自分の名前に書き変えたりもしました。
それを考えると、過激な性格の持ち主であった可能性も残っているはずです。
メリトアテンの結婚
メリトアテンは最初に言った様に、父親はアクエンアテン、母親はネフェルティティであり、この点を疑問視する者は殆どいません。
しかし、結婚相手となると、様々な説があります。
有名どころではアクエンアテンが共同統治王としたスメンクカーラーに嫁がせたとするものです。
ただし、スメンクカーラーの正体はアクエンアテンの弟か子とする説もあれば、母親のネフェルティティとする説があります。
母親のネフェルティティが共同統治王のファラオであれば、メリトアテンと結婚する事はないでしょう。
もう一つ、メリトアテンの結婚相手として挙がっているのが、父親のアクエンアテンです。
母親のネフェルティティの正式な記録が見えなくなった頃に、メリトアテンがアクエンアテン王の正妃を現わす大王妃の称号を得た事が分かっています。
こうした事情もあり、メリトアテンは父親のアクエンアテンと結婚した可能性も残っているわけです。
父親と結婚すると言えば、現代人の感覚では「おかしい」と感じるかも知れませんが、エジプト第18王朝ではアクエンアテンの父親のアメンホテプ3世が娘のサトアメンとも結婚しており、決してあり得ないとは言えないでしょう。
さらに言えば、エジプト文明では外戚対策なのか、近親婚は盛んに行われていた事も分かっています。
ただし、大王妃の称号を得たのは、スメンクカーラーの妃になったからだとする説の後押しにもなっており、この点は不明として言い様がありません。
メリトアテンとキヤ
アクエンアテンには第二王妃のキヤもおり、キヤは一時期アクエンアテンの寵愛を受けていたと考えられています。
キヤ王妃はアマルナ時代の王妃でした。
メリトアテンはキヤの記念碑から名前を削り取り、自分の名前を刻みなおしたり、肖像の顔や目も多く傷つけた人物として考えられています。
こうした事情からメリトアテンはキヤのことを、かなり恨んでいたのではないかともされています。
ただし、何故、キヤに対し、この様な仕打ちをしたのかに対しては記録がなく分かっていません。
キヤの棺やカノポス壺がアクエンアテン用に作り直した話がありますが、これもメリトアテンの仕業ではないかとも考えられています。
これらを考えると、メリトアテンは過激な性格を持ち合わせていた可能性もります。
ただし、メリトアテンのキヤに対する行為は「子供じみている」などの評価もある状態です。