
| 名前 | ネフェルティティ |
| 別名 | ネフェルネフェルウアテン |
| 時代 | エジプト新王国 |
| 一族 | 配偶者:アクエンアテン(アメンホテプ4世)、父:アイ?? |
| 娘:メリトアテン、メケトアテン、アンケセナーメン | |
| ネフェルネフェルウアテン・タシェリト | |
| ネフェルネフェルウラー、セテプエンラー | |
| コメント | 古代エジプト随一の美女とも言われる。 |
ネフェルティティはエジプト第18王朝のファラオであるアクエンアテン(アメンホテプ4世)の妻です。
名前の意味は「美女がやってきた」であり、長いエジプト文明の中でも、随一の美女だったのではないかとも考えられています。
夫のアメンホテプ4世がアクエンアテンに改名した時は、ネフェルネフェルウアテンに改名しました。
ネフェルティティはファラオに匹敵するだけの力を持っていたとされていますが、出自は不明です。
しかし、その力の強さから名門出身だと考えられています。
アクエンアテンの死後にネフェルネフェルウアテンなる人物が後継者になっていますが、これがネフェルティティとする説もあれば「別人」とする説もあります。
アクエンアテンと共同統治を行ったスメンクカーラーとも同一人物説があり、この辺りははっきりとしない部分です。
尚、初期のアマルナ改革を主導したのは、ネフェルティティだったのではないかとする説も存在しています。
名門出身の女性
ネフェルティティはアメンホテプ4世(アクエンアテン)の治世4年に、ファラオの妻になりましたが、それ以前の記録は無く分からない部分が多いです。
この時のネフェルティティの年齢は、まだ10代だったのではないかと考えられています。
ネフェルティティの出自に関しては、ミタンニ王国出身の女性だったとする説や、アクミームの貴族でアクエンアテンの後見人となったアイの娘だとする説もありはっきりとしません。
他にも、クレタ島の出身とする説もあります。
それでも、ファラオであるアクエンアテンに匹敵するだけの力があったわけであり、ネフェルティティが名門出身だった事は間違いないでしょう。
アイの娘説
先に紹介したアイですが、アクエンアテンの時代に宰相となりますが、ツタンカーメンの死後にファラオとなっています。
アイの通り名の一つが「神なる父」であり、アメンホテプ3世の妻であるティイの父親のチュウヤの持っていた称号でもあります。
チュウヤも「神なる父」の名を持っていました。
こうした事情から「神なる父」というのは、ファラオの舅を指すのではないかとも考えられ、アクエンアテンの妻はネフェルティティであり、ネフェルティティの父親がアイなのではないかとも考えられるわけです。
ただし、神なる父の称号を持つ者は、ファラオの舅以外でもいた事が分かっており、ネフェルティティの父親がアイなのかは疑問視されています。
尚、アイは後にファラオとなりますが、外戚として力を蓄えツタンカーメンの死後に、ファラオになったとみる事も出来るはずです。
ミタンニ王の娘説
ネフェルティティの正体は、ミタンニ王の娘であるタドゥケバだったとする説もあります。
当時のミタンニ王国はヒッタイトに圧迫されており、エジプト新王国の勢力に娘を嫁がせて援助して貰っていました。
先にも述べた様に、ネフェルティティの意味は「美女がやってきた」であり、外国であるミタンニ王国からやってきた美女がネフェルティティだと考える事も出来るのではないでしょうか。
さらに、ミタンニ王はアクエンアテンを「義理の息子」とも呼んでおり、この言葉を普通に読めば、ミタンニ王の娘がアクエンアテンに嫁いだ事になるでしょう。
ミタンニ王国は当時のオリエントでは大国であり、ミタンニの後ろ盾がありネフェルティティは強い力を持ったとみる事が出来るはずです。
ただし、アクエンアテンは国内に不安があったのかも知れませんが、ミタンニ王国がヒッタイトにより窮地に陥っても、援軍を派遣していません。
こうした事情から、本当にミタンニ王女であるタドゥケバなのか疑問視される部分もある状態です。
太陽神の妻
ネフェルティティとアクエンアテンの仲は良好だったと考えられており、結婚後僅か1年で最初の娘であるメリトアテンを出産しました。
さらに、王家女神官としての役割を果たし、太陽神の妻(娘)であるハトホル女神との関係を指摘する研究者もいる状態です。
実際に夫のアクエンアテンは太陽神のアテン神を信仰するわけであり、ネフェルティティを太陽神の妻のハトホルと重ね合わせた可能性もあるでしょう。
ネフェルティティと結婚した頃から、アクエンアテンは宗教改革であるアマルナ革命を加速させる事になります。
ネフェルネフェルウアテンに改名
ファラオのアメンヘテプ4世がアクエンアテンに改名した時に、ネフェルティティもネフェルネフェルウアテンに改名しました。
ネフェルネフェルウアテンの地位は向上し、アクエンアテンの治世12年には、ファラオの背後ではなく、ファラオと同じ大きさで、ファラオと重なる様に表現され、同じ冠を被るまでになりました。
ネフェルティティには、アクエンアテンもかなり気を遣う存在だったのかも知れません。
ネフェルティティはアクエンアテンとの間に6人の娘を出産するも、男児には恵まれなかった話があります。
それでも、子共が6人もおり夫婦仲はよかったとみる事が出来ます。
アクエンアテンの子と言えば、ツタンカーメンが有名ですが、ツタンカーメンは側室の子だったようです。
しかし、次女のマケトアテンが亡くなると、記録が途絶えており、確実な所は分からなくなります。
ネフェルネフェルウアテン(ネフェルティティ?)の名はアクエンアテンの治世16年目にも確認する事ができます。
ただし、治世16年のネフェルネフェルウアテンとは別人であり、実際には既に亡くなっていた説やファラオの寵愛を失い失脚したとする説もあります。
それもで、ネフェルティティはアクエンアテンと同じくアテンを信仰しており、夫を補佐する存在でもあったはずです。

(画像:無限空間)
尚、アテン神の有名な画像がありますが、アクエンアテンの隣にいるのが、ネフェルトイティであり、さらに隣にいるのが娘たちだと考えられています。
ネフェルトイティは即位したのか
アクエンアテンは治世の末期にスメンクカーラーと共同統治を行いました。
しかし、スメンクカーラーは2年ほどで亡くなっており、アクエンアテンはネフェルネフェルウアテンを共同統治王としました。
このネフェルネフェルウアテンがネフェルティティだとする説があります。
ネフェルティティはファラオ同じ冠を被ったり、敵を討つ姿がある事から、ネフェルティティが即位したとする説があるわけです。
ただし、ネフェルティティが即位したとしても在位は数年と短く、次のファラオになったのがツタンカーメンとなります。
ネフェルティティが即位したのかは、分からないとしか言いようがないでしょう。
尚、スメンクカーラーとも同一人物説があります。