三国志 後漢 未分類 魏(三国志)

辛韜(しんとう)は質問するも答えを聞けず

2023年6月11日

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宮下悠史

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名前辛韜(しんとう)
生没年不明
時代三国志、後漢末期
勢力曹操
コメント荀攸に質問した事がある

辛韜は正史三国志の注釈・魏書に登場する人物です。

辛韜はかなりマイナーな人物であり、歴史の残る様な功績を立てた様な人物ではありません。

しかし、魏書には荀攸の父の姉妹の子だと記述があり、身元ははっきりとしています。

辛韜に関しては、辛毗と同族ではないかとも考えられている状態です。

辛韜と辛毗が同族であれば、兄の辛評も同族という事になり、荀攸とも近い関係だと言えます。

辛韜と辛毗が同族であれば、荀攸、辛毗も近しい関係であり、劉表を攻めようとしていた曹操が荀攸の進言に耳を傾け袁譚との和睦を成し、北方に兵を向けたのも分かる様な気がします。

今回は魏書の記述に従い辛韜を解説します。

荀攸への質問

魏書によれば、辛韜は荀攸曹操に進言し冀州を奪い取った時の事を聞こうとしました。

辛韜に取ってみれば、北方の袁譚、袁尚を駆逐した戦いの詳細を知り、自分に役立てようと考えたのかも知れません。

辛韜が荀攸に質問すると、荀攸は次の様に答えました。

※魏書より

荀攸「佐治(辛毗)が袁譚の為に降伏を願い出て、官軍が北方に行き平定しただけの事だ。

儂が内容を知っているはずがない」

実際に袁譚の降伏は郭図が考案し、袁譚は迷いますが、結局は辛毗を派遣し、曹操に降伏を願い出た事実があります。

当時の曹操陣営は劉表への攻撃を優先すべきとする意見が強かったのですが、荀攸の意見で袁尚討伐の為に北方に兵を向けました。

荀攸は自分の進言を辛韜には述べず、結果だけを簡略に伝えた事になるでしょう。

辛韜にしてみれば、荀攸の考え方を知りたかったと思いますが、願いは叶いませんでした。

荀攸の回答に辛韜は欲求不満になった様にも感じています。

荀攸に質問する者がいなくなる

辛韜は荀攸から願った様な回答を得られなかったわけですが、これ以後に荀攸に対し二度と質問する者が出なかったとあります。

世間の人々としては、一族の辛韜が質問してさえ答えてくれないならと考え、質問をしなかったのでしょう。

荀攸は身内とも言える辛韜に簡略な回答しかしなかったのも「口は禍の元」という事を知っていたからだと思いました。

実際に情報というのは人の口や書簡などのツールによって広まっていくものであり、荀攸はその事も理解しており、甥の辛韜であっても詳細は言わなかったのでしょう。

荀攸としてみれば自分が言わなければ広まる事もないし、曹操への信頼に繋がるとも考えたのかも知れません。

尚、辛韜は荀攸に質問したこと以外に記録がなく、功績ではなく曹操の軍師荀攸に質問した事で、歴史に名が残ったと言えます。

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