古代日本 天皇の治世

七支刀の銘文で日本史の謎が解ける

2023年8月18日

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宮下悠史

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名前七支刀
読み方しちしとう
登場日本書紀
コメント神功皇后52年に記録がある
保管場所石神神宮

七支刀は七支鏡と共に朝鮮半島の百済が日本に献上した宝物です。

当時の百済は北方から迫ってくる高句麗の圧力があり、倭国と同盟を結んでおきたかったのでしょう。

日本書紀に七支刀に関する記述があり、神功皇后の52年に百済が重宝として奉ったとあります。

七支刀には銘文が彫られており、この銘文が日本史の謎の一つだった古代史の年表を解く鍵となっています。

七支刀は現存しており、現在では石上神宮にあります。

石上神宮には七支刀だけではなく、神話の時代に建御雷神や神武天皇が用いたとされる布都御魂も安置されている状態です。

七支刀と言う名前から「武器」を連想するかも知れませんが、実際の七支刀は武器というよりも芸術品だと思った方がよいでしょう。

祭祀の道具としては七支刀は使えそうな気もしますが、実戦で使う事はまずないと感じました。

因みに、七支刀の時代は中国の歴史書から日本の記述が消えており、空白の150年の時代の資料でもあり、貴重な代物でもあります。

名前住所電話番号
石上神宮奈良県天理市布留町3840743-62-0900

七支刀の伝説

百済が日本に七支刀を貢物として贈った理由ですが、日本書紀によると倭国が百済と共闘関係を結び、新羅を破ったからです。

倭国と百済は同盟関係にあった様ではありますが、日本書紀の記述を見る限りでは、百済は倭国に従属同盟を結んでいます。

神功皇后は新羅の珍奇な品を喜び、百済側は日本に軍事支援を願った様にも見えます。

日本書紀の神功皇后52年の秋九月十日に、百済に使者として行っていた千熊長彦が百済の久氐を従えて戻ってきました。

この時に、久氐は七支刀と七支鏡などの重宝を神功皇后に奉り、百済の近肖古王の言葉を伝えています。

日本書紀の記述によれば近肖古王は、孫の枕流王に「倭国のお陰で西に領地を得る事が出来た」と語り、貢物を絶やさぬ様にと述べています。

日本書紀の記述を見る限りでは、七支刀は倭国を百済の後ろ盾としたい百済の思惑があったとも言えるでしょう。

これが七支刀の日本に来た伝説となっています。

ただし、七支刀は史書に書かれており、七支刀自体が現存している事から、伝説ではなく史実ではないか?とも考えられています。

七支刀の銘文

七支刀に書かれた内容

七支刀は百済が倭国との友好の為に贈ったものですが、七支刀には表と裏に銘文が刻まれていました。

銘文の内容は下記の様になっています。

表面

泰■四年■月十六日丙午の日のよき時刻に打ち上げた鉄で七支刀を造った。

(この刀があれば)武器による災いを避ける事が出来る。

礼儀がある侯王が持つのに相応しい。

■■■■が造った。

裏面

これまでの世にこれほどの刀は存在しなかった。

百済王の世子の奇は聖なる加護を受けて生きてきた。

故に倭王旨のために造らせた。

(百済と倭国の関係が)後世まで伝わり示される事を願う。

七支刀の表面には吉祥句が並べられている事が分かるはずです。

裏面の銘文では七支刀が倭国と百済の友好の証として後世にまで伝わる事を願っている事が分かります。

七支刀の銘文の内容を見る限り間違いなく百済は倭国との友好を願っています。

倭国は朝鮮半島での高句麗、新羅、百済との戦いに介入しますが、百済とは友好関係を続ける事になります。

最終的に百済は滅亡してしまいますが、七支刀に込めた願いは成就したとも言えます。

銘文の倭王旨は何を指すのか

七支刀の銘文を見ると、倭王旨の文字が見えます。

倭王旨が何を指すのか?に関しては、人名を指すのではないかとする説もあります。

後述しますが、日本書紀の神功皇后52年に百済から七支刀が献上された話があります。

この時が神功皇后が摂政をしている時代であり、倭王旨が応神天皇ではないかとする説があります。

倭王旨が人名であれば、百済に対しても倭国では倭の五王の様に中国名を用いた可能性も残っている事になるでしょう。

他にも、旨は「むね」と読み倭王が要望したとする説や「旨く」と読む説などがあります。

しかし、七支刀の銘文に記録された倭王旨に関しては、どの説が正しいのかはっきりとしていません。

七支刀の銘文で日本史の謎が解ける

七支刀はいつの事なのか

日本書紀や古事記を見ると、神武天皇が127歳まで生きていたり、垂仁天皇が140歳まで生きたなど、現実離れした事が書かれている事が分かります。

正史三国志に注釈を入れた裴松之は「倭人は年の数え方を知らない」とあり、現実離れした天皇の寿命は「年の数え方が現在と違う」と考えられています。

1年を2年で数える春秋歴を使っていたなどの説もあります。

日本書紀や古事記の年代を西暦に換算するのは、困難ともされていますが、七支刀で古代日本の年齢の謎が解けると考える人もいます。

七支刀には、次の様な銘文が刻まれています。

泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■辟百兵宜供供(異体字、尸二大)王■■■■作

上記の■の部分は何と書かれているのか分からなくなっています。

七支刀の「泰■四年」とありますが、これが、倭王の為に造った年だと考えられています。

泰■四年で日本史の謎を解く

七支刀の「泰■四年」が何を指すかですが、下記の3つの説が有力です。

・西晋の「泰始四年」(268年)

・東晋の「太和四年」(369年)

・劉宋の「泰始四年」(468年)

この中で個人的に最有力だと感じるのが東晋の「太和四年」(369年)です。

日本書紀の記述を見ると、七支刀の銘文から百済の枕流王が亡くなるまでを三国史記と照合すると、次の様になります。

・神功皇后52年 百済が七支刀を日本に奉った。(七支刀の銘文369年)

・神功皇后55年 百済の近肖古王が亡くなった。(三国史記 375年)

・神功皇后64年 百済の貴須王が亡くなった。(三国史記 384年)

・神功皇后65年 百済の枕流王が亡くなった(三国史記 385年)

上記の図を見ると日本書紀では七支刀が日本側に渡った年から、近肖古王が亡くなる年までに3年と6年の違いはありますが、それ以外は年代が一致する事が分かるはずです。

これを考えると、神功皇后は在位69年で崩御しており、神功皇后は西暦に直すと389年頃に亡くなったのではないか?とみる事も出来ます。

尚、日本側は暦が大陸と違うとも言われますが、百済王の亡くなった年を見ると、日本書紀の記述と一致する事になります。

それを考えれば、七支刀で神功皇后が摂政を行っていた年代の特定はできると言えますが、古代日本の年表が確定されたとは言えないでしょう。

因みに、日本書紀の神功皇后の巻では、魏志倭人伝の記述が出てきますが、日本書紀の編集者も日本側の年表の正確性が欠如した所に頭を抱えたはずです。

日本書紀の天皇の年齢をそのまま換算すれば、神功皇后は卑弥呼と同時代の人になってしまいますが、現存している七支刀の銘文の方が正確な年表を表していると感じています。

七支刀から分かる倭国と百済の関係

七支刀から当時の東アジアや倭国と百済の関係も見る事が出来ます。

中国や朝鮮半島の歴史を見ると前燕と高句麗は対立し、342年には高句麗の首都の丸都が陥落しました。

高句麗は前燕に常に悩まされてきましたが、369年に東晋が前燕を攻撃した事で、前燕が身動きが取れなくなり高句麗は余裕が出来たわけです。

369年は七支刀が造られた年だともされており、この年は高句麗の故国原王が南下し百済を攻撃した年でもあります。

百済の近肖古王は高句麗軍を雉壌の戦いで破り、371年にも高句麗に攻められますが、これも撃退しました。

百済軍は勢いに乗っており、近肖古王が高句麗を攻めると、故国原王を討ち取る大戦果を挙げています。

しかし、百済は高句麗を滅ぼしたわけでもなく、高句麗による危機は去ったとは言えず、外交に活路を見出す事になります。

前燕は370年に滅亡しており、遼東半島は東晋の領地となっており、372年に百済は東晋への朝貢を行っています。

さらに、百済は倭国に七支刀を贈答し懐柔を計ったのが実情なのでしょう。

百済は倭国に七支刀を贈り友好を深める事で、南の脅威を無くし高句麗に専念したいと考えました。

百済が高句麗と戦う為に、東晋及び倭国と同盟を結び対抗しようとした結果として、倭国に七支刀が贈られたとみるべきです。

日本書紀の記述では百済は倭国に従属同盟をしている立場となり描かれていますが、この頃の百済は独力で高句麗軍を打ち破っており、百済と倭国は対等の関係だったのではないかとも考えられています。

尚、倭の五王らは朝貢する時に百済に道を借りており、倭国と百済が七支刀により関係を深めた事は間違いないでしょう。

ただし、高句麗に広開土王が立つと百済は劣勢となり、広開土王碑には朝鮮半島で倭国の軍と高句麗軍が激闘を繰り返した話が掲載されています。

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