沮宗は正史三国志の注釈・献帝伝に名前が登場する人物です。
沮宗の兄は沮授であり、袁紹の配下では田豊と並ぶ、智謀の士として名が通っています。
沮宗の兄の沮授は袁紹の様々な進言をしており、沮授の戦略により公孫瓚を打倒するなど活躍しました。
沮宗に関しては、官渡の戦いの前に、沮授が財産分与すると言い出し、その時の会話位にしか登場しません。
しかし、沮宗の言葉からは、官渡の戦いの開戦前の袁紹軍に、どの様な空気が流れていたのかが分かるとも感じました。
今回は戦略家・沮授の弟にあたる沮宗を解説します。
尚、沮授の子である沮鵠は袁尚の命令で、審配と共に曹操と戦った記録がありますが、沮宗に関しては官渡での開戦前の記録があるだけです。
財産分与
官渡の戦いの前に、袁紹陣営では持久戦か短期決戦かで議論が分かれていました。
田豊や沮授などは持久戦を主張し、淳于瓊や審配などは短期決戦が望ましいと主張したわけです。
袁紹の出陣が決まると、沮授は弟の沮宗や一族を集めて財産分与を行い、次の様に述べています。
※献帝伝 ちくま学芸文庫 477頁より
そもそも、勢いがあれば、威光はあらゆるものに及ぶが、勢いがなくなれば一身を保つ事も出来ない。
悲しい事よ。
沮授は袁紹が曹操を敗れると考え、一族に財産分与を行ったわけです。
しかし、戦力で言えば袁紹は曹操を圧倒しており、沮宗は不信に感じ、次の様に述べました。
沮宗「曹公(曹操)は大した戦力は持っていません。
それなのに何の心配をする必要があるのでしょうか」
沮宗の目から見れば、袁紹が敗れ曹操が勝つ所が想像できなかったのでしょう。
沮宗の言葉に対し、沮授は次の様に返しました。
沮授「曹操には優れた戦略があり、天子を擁しそれを財産としている。
我が軍は公孫瓚には勝利する事が出来たが、内情を言えば疲弊している。
それにも関わらず将軍は驕り、主君は言い気になっておられる。
我が軍の敗北は、この動員により決まるのだ。
楊雄の言葉に『戦国の六国は冷静な判断を失い、嬴氏の為に姫氏を弱くした』とあるが、現在は曹氏の為に漢を弱めている状態なのだ」
沮授は沮宗に戦国七雄の秦とそのほかの六国を例に出し、袁紹の軍が敗れる事を予言したわけです。
史書において沮宗が登場するのは、ここだけであり、この後に沮宗がどうなったのかは記録がなく分かっていません。
沮宗が官渡の戦いに参戦したのかも不明です。
当時の袁紹陣営
後に袁紹が許攸の裏切りなどにより、官渡の戦いで敗れた事を考えると、沮授の賢さと沮宗の凡庸さを感じた人も多いかと思います。
しかし、実際の官渡の戦いでは、袁紹はかなり曹操を追い詰めており、許攸の裏切りがなかったら袁紹が勝っていた可能性も十分にあるはずです。
それを考えると、必ずしも沮宗が凡庸だとは言えないと感じました。
さらに言えば、沮宗は敗戦を予感した沮授に対し「恐れる必要はない」と述べているのであり、当時の袁紹陣営の雰囲気が分かるような気がします。
袁紹軍の内部では、楽勝ムードも漂っていたのでしょう。
沮授は袁紹軍の気の緩みを素早く察知し、敗戦を予言した様に感じました。
因みに、沮宗の兄の沮授は官渡の戦いで敗戦が決まった後に、捕虜となりますが、沮宗がどうなったのかも不明です。
尚、官渡の戦いの前に、沮宗は沮授から財産分与されたはずですが、取れ程の取り分を得たのかは不明です。