春秋戦国時代

卓子(晋)は物心がつく前に亡くなった

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宮下悠史

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名前卓子(たくし)
別名悼子(史記)
時代春秋戦国時代
生没年紀元前652年ー紀元前651年
在位紀元前651年
一族父:献公 母:驪姫の妹 
兄弟:申生文公恵公奚斉、卓子、穆姫
コメント僅か1歳で亡くなった。

卓子は春秋時代の人物で、僅か1歳での君主となりました。

晋の献公驪姫の妹の子でもあります。

晋の献公が亡くなると、奚斉が立ちますが、直ぐに里克と丕鄭により討ち取られました。

ここで宰相の荀息が擁立したのが、卓子であり、僅か1歳だったと考えられています。

しかし、里克らは納得せず、卓子を殺害し、最終的に晋の恵公を立てる事になりました。

卓子は物心がつく前に世を去ったと言えるでしょう。

卓子の誕生

史記に卓子の誕生の記述があり、次の様に書かれています。

※史記晋世家より

晋の献公の25年ーーー驪姫の妹が卓子(悼子)を生んだ。

この記述から卓子が驪姫の妹の子だと分かるはずです。

晋の献公の25年は紀元前652年であり、献公は紀元前651年に亡くなっており、最晩年の子だと言えるでしょう。

晋の献公は驪姫を寵愛し、奚斉が既に誕生していましたが、同時に妹の方も寵愛し卓子が生まれました。

晋では驪姫の陰謀が作用し、既に廃太子の申生がこの世になく、優秀だと言われた重耳夷吾も国内を退去していました。

こうした状況の中で、誕生したのが卓子であり、晋の献公としては「奚斉にもしもの事があれば卓子がいる」と誕生を大変喜ばれたのではないでしょうか。

驪姫としても、奚斉が即位した場合に、補佐する人物として卓子に期待したと考えられるはずです。

卓子の最後

晋の献公は紀元前651年に、荀息を宰相に任じ世を去りました。

後継者としての君主になったのが、奚斉です。

この時を待っていたかの様に、里克と丕鄭らが動き出し、奚斉を討ち取りました。

晋の献公の葬られていない状態での出来事であり、献公が亡くなってから間もない出来事だったのでしょう。

宰相の荀息は自刃しようとしますが、ある人が卓子を即位させる様に進言しました。

卓子はまだ1歳の子供でしたが、驪姫の妹の子でもあり、卓子であれば顔立てが出来ると考えたのでしょう。

荀息は晋の宰相の権限を以って、卓子を擁立しました。

しかし、これで里克や丕鄭が納得するはずもなく、朝廷で卓子を殺害しました。

卓子は僅か1才であり、物心がつく前に世を去ってしまった事でしょう。

里克らは秦の穆公斉の桓公の後押しもあり、夷吾(晋の恵公)を即位しました。

しかし、晋は上手くまとまらず、卓子の呪いと考えてもよいのかも知れません。

先代:奚斉卓子次代:恵公

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