程遠志は三国志演義で黄巾賊の一因として登場する人物です。
程遠志の名は正史三国志、後漢書、資治通鑑などの史書には登場しない事から架空の人物だと考えられています。
程遠志は張角が黄巾の乱を引き起こすと、五万の兵を率いて涿郡に侵攻しました。
程遠志の軍に対応したのが初陣の劉備の軍だったわけです。
程遠志は副将の鄧茂が張飛に斬られ、程遠志自身も関羽に斬られました。
程遠志は5万の大軍を率いながらも寡兵の劉備軍に敗れる結果となっています。
今回は三国志演義に登場する程遠志を紹介します。
涿郡に侵攻
程遠志は副将の鄧茂と共に涿郡に侵攻しました。
三國志演義の描写では、この時の程遠志の兵は五万だったと記録があります。
この時の幽州刺史は劉焉であり、劉焉は将軍の鄒靖や劉備に迎撃を命じています。
劉備らの兵は5百しかいませんでしたが、程遠志率いる五万の軍勢に応戦する事となります。
大興山の麓に達すると程遠志と劉備の軍が対峙しました。
劉備の左右には張飛と関羽がおり、劉備は程遠志に向かい次の様に述べています。
※完訳三国志演義1巻(岩波文庫)18頁より
劉備「謀反人の逆賊め。早く降参せぬか」
劉備は程遠志を罵りました。
三国志演義では戦いの前に罵りは数多く行っており、恒例行事にも感じます。
さらに言えば、程遠志の軍は5万もいるのに、5百の劉備軍が敵に罵るという不思議な光景にも見えます。
程遠志は劉備の言葉に激怒し、戦いを挑む事になります。
これにより大興山の戦いが勃発しました。
程遠志の最後
程遠志は副将の鄧茂に攻撃命令を出します。
鄧茂に対して蛇矛を持った張飛が応戦すると、一撃で鄧茂は落馬します。
程遠志は鄧茂が打たれた所を見ると、馬に鞭をあてて刀をふりまわして張飛に突っ込んで来ました。
程遠志に対応したのが関羽であり、関羽は程遠志を迎え撃ちます。
程遠志と関羽では実力の差がかなり開いており、程遠志は関羽に一撃で斬られ最後を迎えます。
鄧茂は落馬したとあるだけですが、程遠志は「真っ二つになった」と記載があり、間違いなく死亡したと言えるでしょう。
関羽の武器は青龍偃月刀だったはずであり、程遠志は青龍偃月刀の錆になってしまったと見る事も出来ます。
程遠志は五万もの兵を擁しながらも、五百の義勇軍中心の劉備軍に大敗した事になります。
尚、大興山の戦いは、五万もの兵士を率いた総大将の程遠志が、五百の劉備軍に先頭をきって戦っており、物語の創作としての戦いだと感じました。
黄巾賊の兵たちは程遠志が斬られた所を見ると、一目散に逃げ始め、これにより劉備軍の勝利が決まったわけです。
程遠志は三国志演義の第一回に登場し、早々と姿を消しました。