古代オリエント

イシン・ラルサ時代は群雄割拠の時代である

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宮下悠史

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名前イシン・ラルサ時代
コメントウル第三王朝崩壊後の群雄割拠の時代

イシン・ラルサ時代はシュメール人のウル第三王朝の崩壊から、ハンムラビのバビロン第一王朝の統一までの時代を指します。

古バビロニア時代という分類もありますが、古バビロニア時代で考えると、イシン・ラルサ時代は前半部にあたり群雄割拠の時代でもあります。

イシン・ラルサ時代の前半で強大な力を持ったのはイシン第一王朝でしたが、ラルサ王朝が興隆すると苦戦し滅ぼされました。

ラルサ王朝はリムシンがハンムラビのバビロン第一王朝に敗れ滅亡しています。

イシン・ラルサ時代とは言いますが、イシンもラルサもメソポタミアの覇者にはなれず、バビロン第一王朝が群雄割拠を制しました。

イシン・ラルサ時代とは

イシン・ラルサ時代はウル第三王朝が崩壊してから、バビロン第一王朝のハンムラビによる統一が行われるまでの200年程を指します。

この時のメソポタミアの代表的な王朝がイシン第一王朝ラルサであり、イシン・ラルサ時代の名前にもなっています。

ただし、イシン第一王朝やラルサは比較的強く勢力を持った事はありましたが、基盤は脆弱でありウル第三王朝の後継国を名乗るなどし国内を安定させようとしました。

古バビロニア時代という言葉もありますが、古バビロニア時代はウル第三王朝の崩壊からバビロン第一王朝の時代を指し、古バビロニア時代の前半がイシン・ラルサ時代という事になります。

イシン・ラルサ時代は群雄割拠の時代でもあり、イシン、ラルサ、バビロンウルクなどの諸都市が覇を競うだけではなく、北方ではデール、エシュヌンナ、マリ、ヤムハドなども勢力争いを繰り広げました。

イシン・ラルサ時代は大アムル人の時代でもあり、メソポタミア及びシリアの多くの勢力はアムル人の国でもあったわけです。

当然ながら、アムル人の存在が文化や社会構造に大きな影響力を及ぼす事になります。

初代王と実質的な統治者

イシン・ラルサ時代の主役とも言えるイシン第一王朝とラルサを簡単に書き示しておきます。

ラルサ王朝とイシン第一王朝の始祖は、記録上以下のように対比されます。

ラルサ王朝は、初代王としてナプラヌムの名が挙げられます。

イシン第一王朝の初代王はイシュビエッラであり、彼はウル第三王朝から離反して独立を確立した実在性の高い人物です。

ラルサの王の中で、歴史的にその実在と統治が確実視されるのは、第5代王のグングヌムからであるという説が有力です。

正統性の主張: グングヌムは、自らの王権の正当性を広く示すため、自身の家系が古くからラルサを統治していたかのように系譜を整えた可能性が指摘されています。

政治的意図: 自身の先祖をラルサの王として位置づけることで、新興の統治者としての立場を補強し、先行するイシン王朝などに対抗する狙いがあったと考えられます。

ラルサ王名表に記された初期の王たちの記録は、後世の王による「権威付け」という政治的文脈を含んでいる可能性があります。

王名表上の「初代」が、必ずしも当時独立した国家として機能していたことを意味するわけではなく、後世に遡って構成された概念である可能性を考慮する必要があります。

ウル第三王朝の末期、最後の王イッビ・シンとイシュビエッラの間で、後の独立の契機となる出来事が起きたと記録されています。

ラルサ王朝はグングヌムの時代に大きな勢力を持ち、イシン第一王朝に対し有利に戦いを進めましたが、滅ぼす事が出来ずイシン・ラルサ時代は長引く事になります。

ラルサは後にエラム人の王朝にすげ変わったともされていますが、紀元前1794年頃にイシン第一王朝を滅ぼしています。

しかし、エラムを破ったハンムラビが強大な力を持ちエシュヌンナ、ラルサ、マリなどを滅ぼし、イシン・ラルサ時代は終焉を迎えました。

メソポタミア文明はイシン・ラルサ時代からバビロン第一王朝の時代へと移行し、古バビロニア時代で言えば後半に突入したと言えるでしょう。

イシン・ラルサ時代の社会変化

イシン・ラルサ時代ではシュメール語が使われなくなり、アッカド語が使われるようになり、方言も多く使われる様になった事が分かっています。

イシン・ラルサ時代では王宮や神殿を核とする家産経済体制が崩壊し、代わりに民間での私的経済活動や土地の私有化が進行しました。

メソポタミアの経済の移行期になったとされているわけです。

イシン・ラルサ時代は国際交易が活発となりアッシリアやウルなどの交易商人が活躍した事でも知られています。

イシン・ラルサ時代について

古代メソポタミア史において、イシン・ラルサ時代は「情報が少ない(古代オリエント事典をもってしても扱っていない王がいる)」
などとしてリサーチが敬遠されがちな領域でもあります。

しかし、粘土板に残された経済記録や国際婚姻、そして法典制定の裏にある地政学的リスク(事実)を客観的に読み解く研究は進んでおり、今後に期待を持ちたいと考えております。

日本ではイシン・ラルサ時代の詳細は情報を得る事は難しいですが、今後を楽しみにしたいと思います。

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