
イシュビエッラはウル第三王朝に仕えた将軍とされていますが、後にイシン第一王朝を建国しました。
ウル第三王朝の最後の王であるイッビ・シンの命令により大麦を購入しにいきますが、巧みにイシンで独立しており狡猾な人物だったとも考えられています。
しかし、実際には最初からイシンの王だったとする説もありはっきりとしません。
ウル第三王朝が崩壊に向かった時に、イシュビエッラはメソポタミア南部を纏め上げ、後にはウル第三王朝の後継国を名乗る事になります。
それでも、エラム人からナンナ神像を取り戻す事が出来ず、世を去っています。
イシュビエッラの出自と背景
イシン第一王朝の建国者であるイシュビエッラは、ウル第三王朝に仕えたマリ出身の将軍であったと伝わっています。
また、彼はアムル人であった可能性が指摘されています。
王命(イッビシン)により大麦の調達に赴いたイシュビエッラですが、予定の半数程度の穀物しか確保できなかったと報告しました。
この際、彼は調達が進まない理由として周辺情勢の悪化などを挙げていますが、これはウル王家から離反し、自立するための意図的な政治的駆け引きであったと解釈されることが一般的です。
その後、イシュビエッラはイシンを拠点として王を称し、急速に勢力を拡大しました。
ウルの混乱に乗じて周辺都市を支配下に置き、イシンを地域の中心地へと成長させました。
この一連の行動は、彼の高い政治的判断力と戦略的な性格を示すものとして語り継がれています。
別の史料的解釈では、彼は最初からイシンの統治者(王)としての地位を確立していたとする見解もあります。
それでも、ウル第三王朝と並行してイシン第一王朝が存在した事は間違いないでしょう。
ウル王家の領土縮小とイシンの覇権
かつてメソポタミア全域に影響力を誇ったウル第三王朝の支配権は、急激に縮小しました。
限定的な領有: 王朝の支配領域は、聖都ニップル、古都エリドゥ、そして首都ウルの周辺地域のみにまで後退しました。
聖都の喪失: その後、宗教的・政治的に極めて重要な都市であったニップルもイシュビエッラの支配下に入りました。
これにより、イシュビエッラの権威はさらに高まることとなりました。
ニップルの喪失を経て、ウル第三王朝は広域を統治する帝国としての地位を失い、ウル周辺を治める一地方政権へと転落しました。
対照的にイシュビエッラは、シュメールおよびアッカド地方の大部分を次々と支配下に組み込み、事実上の覇権を確立していきました。
ウル第三王朝が存続している段階で、イシュビエッラはすでに「四方世界の王」を名乗るなど次代の正統な統治者としての地位を意識した言動をとり、政治的な主導権を完全に掌握していました。
こうした中で、エラム王国のキンダドゥはイシンと共にウル第三王朝を滅ぼそうと画策しますが、イシュビエッラはこれに乗らずウル第三王朝と共にエラムと戦っています。
ウル第三王朝は滅亡しますが、イシン第一王朝は生き残っておりエラム人と戦い続ける事になります。
8年の歳月を掛けてウルを奪還しますが、ナンナ神像を取り戻す事は出来ませんでした。
イシュビエッラが亡くなるとシュイリシュが後継者となりました。
シュイリシュの時代にナンナ神像を取り戻す事になります。
| イシュビエッラ | 次代:シュイリシュ |