名前 | 楊齢(ようれい) |
生没年 | 生年不明ー209年 |
登場 | 三國志演義 |
勢力 | 韓玄 |
楊齢は三国志演義のオリジナルキャラクターであり、長沙太守韓玄配下として登場します。
楊齢は三国志演義の五十三回のみに登場するキャラであり、結論を言えば呆気なく関羽に斬られました。
ただし、韓玄の配下には黄忠と魏延がおり、楊齢は黄忠・魏延に続く第三将という位置づけなのでしょう。
三國志演義の一騎打ちで一撃でやられるキャラの中には、言葉を発するシーンがない人物も多いです。
それに比べれば、楊齢はセリフがあるだけマシとも言えます。
今回は韓玄配下で関羽と一騎打ちを行った楊齢を解説します。
尚、三国志演義には様々なバージョンがあり、中には楊齢を討ち取ったのは関索だとする話も存在します。
しかし、ここでは日本語訳されている一般的な、三国志演義の内容を元に記事を作成しました。
楊齢の出陣
赤壁の戦いは、周瑜、黄蓋などの活躍により孫権、劉備の連合軍が勝利しました。
劉備は荊州四郡を取る為に長沙、零陵、桂陽、武陵に兵を差し向けています。
この時に張飛が金旋を破り武陵を取り、趙雲は趙範から桂陽の地を奪取しています。
関羽が韓玄が守る長沙に向かう事となりますが、諸葛亮から張飛と趙雲が三千の兵で武陵、桂陽を落とした事を聞くと、関羽は五百の兵で長沙に向かいました。
関羽がやってきた事を知ると韓玄は黄忠や管軍校尉の楊齢を呼び対策を練り、黄忠は韓玄に次に様に述べています。
黄忠「ご心配はいりません。敵が千の兵で攻めて来れば、この刀と弓で千人の兵を討ち取って見せます」
黄忠は武芸に秀でており、韓玄に語りますが、言い終わる前に楊齢が次の様に述べます。
楊齢「老将軍(黄忠)が出陣するまでもありません。
私の手で関羽を生け捕って見せます」
楊齢は自ら関羽を捕えていやると豪語したわけです。
韓玄は楊齢を頼もしく思ったのか、恩賞を与え楊齢の出撃を許可しました。
楊齢は千の兵士を率いて城を出て、関羽を迎え撃ちます。
楊齢の最後
楊齢は城を出てから五十里ほど行くと、関羽と遭遇する事になります。
この時に関羽の兵は五百であり、楊齢は2倍の兵力を有していました。
しかし、楊齢は兵の多さに頼らずに、一騎打ちを挑む事となります。
楊齢は前に出ると、関羽を散々に罵りました。
関羽は楊齢の態度に腹を立て、返事もせずに赤兎馬に乗り、楊齢に向かって来たわけです。
楊齢は関羽に対し槍で迎撃しますが、関羽の青龍偃月刀が振り下ろされると、一撃で真っ二つとなります。
楊齢は呆気なく関羽に斬られてしまったわけです。
楊齢が斬られた所を見た兵士らは逃げ出し、関羽は追撃を行い長沙の城下まで到着しました。
楊齢は明らかに「やられ役」であり、三国志演義の著者である羅貫中が、関羽を引き立たせる為に登場させた架空の人物だと言えます。
因みに、韓玄は楊齢の死と関羽が城下にまで迫った事を知ると、驚いて黄忠を出陣させた話があります。
韓玄が驚いた話から想像するに、楊齢の武は韓玄に信頼されていたという設定だったのでしょう。