荀正は三国志演義に登場する架空の人物だと考えられています。
正史三国志には荀正の名前は登場せず、三国志演義のみに登場するからです。
荀正は三国志演義の第十四回に紀霊の部下として登場しました。
荀正の上司に当たる紀霊は関羽と互角の一騎打ちをしますが、この後に関羽と一騎打ちをしたのが荀正となります。
しかし、荀正では関羽の相手にはならず、一撃で斬られ命を落とす結果となりました。
荀正が出陣する経緯
劉備が陶謙の後継者となり徐州牧となり、呂布が身を寄せる事となります。
曹操は荀彧の二虎競食の計を実行しますが、失敗に終わると、荀彧は駆虎呑狼の計を進言しました。
駆虎呑狼の計は劉備が勅命により、袁術討伐に向かえば、その間に呂布が劉備に対し反旗を翻すとする策です。
劉備は帝からの勅命が届くと、劉備は張飛に徐州を守らせ、関羽と共に袁術討伐に出向きました。
袁術の方でも劉備が攻めて来た事を知ると、紀霊を総大将とし副将に荀正をつけ迎撃させています。
これを見るとお分かりの様に、荀正は紀霊と共に出陣したわけです。
紀霊の出陣命令
劉備軍と袁術軍が対峙する事となり、いきなり総大将の紀霊と関羽が一騎打ちをしました。
関羽は三国志演義の中では最強クラスの武将であり華雄、顔良、文醜など名だたる猛者を討ち取る事になるのですが、紀霊は関羽と互角の戦闘をしました。
紀霊は30合も関羽と打ち合いますが、勝負はつかずに引き分けとなり、陣に引き返したわけです。
一騎打ちを切り上げた紀霊は荀正を出し、関羽と一騎打ちをさせる事にしました。
この時に紀霊が何を思って荀正を出陣させたのかは不明です。
関羽と紀霊は一騎打ちをしており、部下である荀正の実力も紀霊は把握していた事でしょう。
それを考えると、紀霊にどの様な狙いがあり、荀正に関羽との一騎打ちを命じたのかは不明としか言いようがありません。
荀正なら関羽を討ち取れると思ったのかも不明です。
関羽に敗れる
荀正は関羽の前に行きますが、関羽とは次のやり取りがあった事になっています。
関羽「紀霊を出せ。儂は奴と勝負をつける」
荀正「貴様の様な名もなき人物では、紀将軍の相手にはなれぬ」
荀正は関羽を名もなき人物と侮辱した上で、戦いを挑んだわけです。
関羽は荀正に挑発されると、怒り心頭となり、真っすぐに荀正に向かって突っ込んで来ました。
この時は呂布がまだ生きており、関羽は赤兎馬には乗っていませんが、関羽の突撃はかなりの迫力だった事でしょう。
三國志演義では荀正と関羽に一騎打ちに関しては、下記の描写があります。
「馬がすれ違ったかと思うと、荀正を馬から切って落とした」
この記述を見るに、荀正は関羽により一撃で斬られてしまったのでしょう。
関羽が荀正を討ち取った事を知ると、劉備は攻撃命令を出し、紀霊の軍を多いに破ります。
後に紀霊も体制を立て直し、夜討ちなども行いますが、劉備に手を読まれて失敗に終わりました。
それでも、紀霊の軍は総崩れとならずに、何とか軍を維持したわけです。
この展開を見るに、荀正が一撃で斬られた事で、紀霊の軍は不利な戦いを強いられたとも言えるでしょう。
ただし、この後に徐州で曹豹が呂布に内通し、呂布は張飛が守る徐州を襲い破りました。
呂布は高順に命じ、劉備を討たせた事で、劉備の軍は破れています。
それを考えると荀正は最終的に負ける戦いにおいて、関羽の武勇を引き立たせる為の存在だったとも言えそうです。
荀正の能力値
三国志14 | 統率57 | 武力63 | 知力33 | 政治20 | 魅力34 |